昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

分業の薦め

アダムスミスの国富論でも述べられているが、世の中は分業システム確立によって格段の進歩を迎えた。
確かに原料から製品までの一貫生産は一見競争力があるかのように思われるが、実際は「餅屋は餅屋」。
その道の専門家は、最も合理的な生産方法を考え、実践している。
原材料まで自分で生産するよりも、その道の専門家から購入した方が遥かに合理的だ。
何でも自分でやってしまおうとするのは、意気込みとしては賞賛に値するが、実は独り善がりでしかない。
だから現在では、基本的にあらゆる製品が分業によって製造されている。
どんなに独創的で先鋭的なオンリーワン製品でも、全ての部品を事故調達している例はない。

世界のトヨタも、家電のパナソニックも、その他の大企業も、規模は巨大産業だが、極論すれば分業を突き詰めた部品の組立屋だ。
製品は、各々のラインの分業で組み立てられている。
チャップリンのモダンタイムズでは、ねじを回す癖が抜けなくなる労働者を皮肉に描いていた。分業の歯車と化した労働者は、仕事の中に、モノを作り上げる喜びを見出すことが出来ない。
しかし製品を、短期間で正確に組立てるためには、例え非人間的ではあっても、分業こそ近代社会の発展を実現した画期的な概念なのだ。

僕は分業の考え方を、日常の仕事にも持ち込めると考えてきた。
僕の最初の職場は、従業員かわずか10人の、某地方都市の営業所だった。
そこでの業務内容は、顧客からの注文を処理するだけでなかった。
顧客に拡販を働きかけたり、取引条件変更要望、具体的には値下げの可否を本社管理部と折衝し、内諾を得れば、価格改定伺書を作成し最終承認、単価マスター修正へと続く。
一方では、顧客情報や市場動向、とりわけ顧客を通じて、ライバル企業の動きを探るのは最重要ミッションで、細大漏らさずレポートにまとめて報告していた。
ここまでの全てを、何から何まで自分一人でやらないといけない、結構忙しい仕事だった。

入社直後の新米担当者から場数を踏み続け、13年後に課長職を拝命した。
初めてのグループマネジメントで、分業の考え方を導入した。
担当者は顧客と市場に向き合うだけ、ひたすら販売活動に専念する。
仕事の結果は課長への報告で終わり、そこから全社への周知徹底は課長の仕事になる。
また業務処理は、内勤の担当者の守備範囲。
実は管理最優先の最近では、最も時間を要するのが、何かと小うるさい存在の社内管理部の連中相手の折衝なのだが、これは全て課長が担当する。
営業担当は、課長の了解さえ取れば、直ちに顧客と具体的な商談を進めてしまう。
課長は、あれこれ説明方法に工夫し、何としても社内の小官僚どもを説き伏せ納得させる。
こうすることで、顧客からは「レスポンスが早い会社」との評価を得た。

会社の業務で、これこそベストの方法などない。
ノウハウブックでは、盛んに「これこそ究極のマネジメント」なる理屈が述べられるが、どんな方法であれ、最終的には収益の多寡が業務の評価になる。
営業も分業のやり方は、「この顧客は自分が守っている」と、担当者のモチベーションも上がるし、何よりもお互いの責任範囲が明確になるので、うまくいかなかった場合の問題点洗い出しも簡単だ。
僕は、この仕事のやり方を駅伝にたとえていた。
自分の持ち場に全力を尽くし、タスキを渡すまでが担当者の責任。
タスキを受けて、社内業務を片付けるのが、次の課長の責任。
この後のタスキは部長につながれ、部長には部全体の収益への責任が生じる。
ここまで明確に言い切った考えは、担当者からも好評だった。

僕自身は、何でも自分一人でやった営業所時代は、全体の仕事の流れを覚える意味では重要だったが、機能性を追及して、社内業務分業の意識を徹底した課長時代のやり方も印象に残っている。