昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

会議が多くて

営業だったので、若かりし頃の会社生活はもっぱら外歩き。
ライバル企業との間で、顧客を取った、取られたとチャンバラを繰り返していた。
その頃は、やられたら倍返しがモットーの、社内切っての武闘派だった。
単純明快な行動理念だったので、顧客にはよく騙された。
「君の会社の製品が一番高い」と脅される度にすぐに反応するものだから、何度値上げして元の木阿弥に収まってしまい、結果として事業の収益性が犠牲になった。
今思い出しても赤面の至りだが、一方では懐かしさが一杯の時期だ。
だんだん経験を積み、それに従って責任範囲も広くなる。
同時に、外に出かける頻度も落ちる。
また後輩連中が顧客の駆け引きの前に、過去の自分と同じ失敗を繰り返しているのを見ると、老婆心ながらも「一旦、相手の立場で、相手が何を求めてその情報をくれたのかを考えてみろ」と忠告するが、なかなか聞いてもらえない。
自分の過去の生き写しに見える頼りない後輩連中と付き合っているが、それはそれで楽しいものだ。

また青二才の頃は、自分で集めた情報をもとに作戦を立てていたが、段々年を取るにつれて、間接情報に頼らざるを得なくなる。
そして会社員の末期となった今では、そんな間接情報をすり合わせることが必要になるので、度々会議を開催することになる。
いつの間にか、一番の仕事が「会議に参加する事」みたいな役割を担っている。
ほとんどの場合、会議って全くつまらない。
効率的な会議の為に、所要時間は一時間、議題は参加者に通知しておく、最後に必ず結論と次回までの課題、解決スケジュールを確認する、なんて事を決めているが、それでも会議が度重なると草臥れる。
月に一度、全国の責任者を集めた会議なんて、朝から一日中会議室に籠りっぱなしになる。
しかも会議では、体はほとんど動かさないで考え事をするので、スポーツ後とは違い、極めて不健康な疲れ方になってしまう。
どうも会社の業績が捗々しくなくなるにつれて、会議が増えているような気がしてならない。
先行きが不安なので、何とか手を打たないといけない。
三人寄れば文殊の知恵、皆が集まれば良い知恵が浮かぶかもしれない。
そんな安直な発想で、会議が招集される。

最近の会社では、戦略、戦術を司るのが企画部であり、その作戦を実行するのが現場部隊との仕分けから、企画部門が幅を利かせているケースが多い。
企画の場合、成果が上がれば自分の企画が良かったと言えるし、悪かったら現場が下手をやったと言い訳ができる。
結果が数字ではっきり表れる現場に比べ、企画部門は逃げ道があり、失敗が顕著になる事が少ない。
そんな訳で、昔は現場重視の企業が多かったが、最近では企画部門が主流となっている。
企画部隊が現場を習熟していれば問題はないが、これも大半の場合、偏差値は高いが喧嘩のやり方をほとんど知らない連中が会社の中枢に居座る。
将に豊臣政権の末期症状と同じで、会社のバイタリティに次第に欠けていく。
その企画の連中は、自分たちが考えた戦略、戦術を周知徹底するために、現場を招集したがる。
勢い、戦闘要員の現場までが、会議と称して頭脳労働に駆り出される。

角を矯めて牛を殺す。
会議が多いのは、会社の末期症状を表すとは言い過ぎだろうか。