昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

民主主義って、とっても煩わしいが

世間は参議院の選挙で姦しいが、しかし先の衆議院では、選挙制度の抜本解決は見送られた。
そんな選挙制度に対して、「生まれたばかりの赤ん坊にも選挙権を与えよう」との意見がある。
単なる与太話と思いきや、意外に「ドメイン投票方式」との重々しい言葉まである、至って真面目な見解らしい。
早速ネットで調べてみると、元々は海外の統計学者ポール・ドメインが考案したもので、ドイツやニュージーランドでは国会でも真剣に議論され、日本でも大学の先生なんかが真面目に研究している。
「政治システムはもっと若い世代の関心に敏感でなければならもので、先進諸国での低出生率を上昇させる効果があるとしても期待されている」と、言われてみれば成る程そんな考えもあるかと納得する。
しかしこれは、憲法上の問題があるだけでなく、根本的な考え方が民主主義と相いれず、決して採用には至らないだろう。

しかも、こんな掟破りに近い考え方で選挙方法を変えれば、必ず少子化に歯止めがかかる訳でもない。
そもそも少子化の問題なんて、いわゆる先進国の悩みでしかない。
今の世の中、別段結婚しなくても充分生活できるので、若者の結婚年齢がどんどん遅くなっている。
また、育児や教育にカネが掛り過ぎるので、たとえ結婚しても子供を欲しがるわけではない。
そんな状況で、選挙権が増えるからと言って子供を作ろうと思う夫婦は、果たして何組いるのだろうか。
逆に発展途上国は、人口爆発による食糧不足が懸念されている。
むしろ地球規模の深刻さで言えば、人口が増えている事の方が大問題なのだ。
将来年金の負担層が先細りするなんて事は、現実の飢餓に比べれば未だ贅沢な悩みでしかない。

また、「若い世代の関心に敏感でなければならない」と断定しているのが分からない。
国債発行のたびに「次世代に借金を残してはいけない」と、一見正論を述べ立てる政党があるが、今までそんな意見が通った事がない。
いつの間にか日本の借金は990兆円超と、全く実感が湧かないほどの巨額になっている。
日本経済をこんな状態にしておきながら、「若い人の関心に敏感」みたいな綺麗事が良くも言えるものだ。
新製品の市場調査でもあるまいし、政治が取り組むべき対象は、決して若人だけではない。
もしも若者に迎合すれば、今度は社会的多数派の中高年に冷たい政策にならざるを得ない。
それはそれで、「弱者切り捨て」の批判が強まってしまう。

また、赤ん坊にまで選挙権を認めるとなると、当然ながら右も左もわからない赤ん坊だけでなく、どう贔屓目に見ても中学生くらいまでは、候補者の是非を判断する能力はないと思われ、勢い親の意見が押し付けられる。
家族数の分だけ投票権があるとなると、相対的に子沢山の人の意見が、子供のいない家庭よりも強くなる。
子供が欲しくても出来ない家庭だってあるのだから、子供が多い家族が大きな顔ができるシステムは、明らかに公平ではない。

これは、多額納税者に多くの選挙権を与えるのと、質的に差がない。
民主主義では、負担能力のある人ほど税の負担額が増える。
税負担に関しては、この考え方は至って当たり前と思われているが、一般社会では余計に金を出した人は、それに見合う処遇を受ける権利を有している。
飛行機のファーストクラスや、列車のグリーン車の乗り心地は良いし、劇場の座席も見やすい場所は高い。
値段が張る食べ物の方が、旨い確率は高い。
明治時代の多額納税者は特権階級だったが、しかし民主主義国家では、多額納税者の一票も、生活保護を受け税負担の必要がない人の一票も全く同価値だ。
公平の原則からは一見矛盾しているが、累進課税制度、即ち金持ちほど義務としての納税額が多いが、権利は差がないのは民主主義の根幹をなす考え方だ。
民主主義の下で、家族数が発言権に差をもたらすなんて考えは、多額納税者を優遇するのと同じほどあり得ない。

民主主義は、欠点だらけのモノでしかない。
しかし少なくとも今までのところ、民主主義以上の統治システムがないので、先進国と称される国々ではこの民主主義で運営されている。
全員が同じ権利を持っているのは悪平等とも言われるが、それでも権利に差をつけるよりも多くの人を納得させやすい。
共産主義全体主義国家よりも、絶対に民主主義国家の方が住みやすい。
だから人間の浅知恵で、民主主義の原理原則を変更するべきではない。
むしろ不公平や不平等を受け入れる、そんな心構えが必要だと思う。