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猪苗代、裏磐梯、会津若松の一泊旅行(写真バージョン)

仕事に余裕が出来たので、妻と二人で猪苗代、裏磐梯会津若松への温泉旅行を企画した。
前回の新潟岩室温泉に比べると、我が家からの距離はおおよそ三分の二。
所要時間がかなり短縮される分、運転が楽になる。

10時過ぎに家を出て、現地到着は14時頃。
旅館に入るには早すぎるので、先ずは猪苗代駅経由で猪苗代湖観光へ。
磐越西線猪苗代駅は、一時間一本の列車しか止まらない、寂れた停車場だった。
平日だった所為か、猪苗代湖もまるで客がいない。
ここは福島原発からは相当離れているが、それでも風評被害からは免れない。
放射能が降って来るとの思いで、観光客は激減しているらしい。
続いての、野口英世記念館は入場料500円。
母親の手紙が陳列され、声優がそれを朗読しているテープが繰り返し流されているが、如何にも老母が我が子を思う切々さが感じられた。
野口英世については、黄熱病研究の最中にアフリカで客死した程度の知識しかなかったが、実は様々な病気の原因を解明したエライ科学者だったことと、当時には珍しい国際結婚をしていた事を新たに分かった。
お札の柄にもなったエライ大先生が、こんなド田舎に生まれる。
これこそ日本の、教育水準の高さと広さの証明だ。

宿泊の旅館は、全室、料理は部屋出し、各部屋に露天の温泉風呂付きがうたい文句。
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この日は10室ほどの部屋が、全部が満杯。
硫黄分たっぷりの温泉は、飲むと喉が渇くほどだ。
食事がまた豪勢。
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貧乏根性が染み込んでいるので、少しでも残すと勿体ない気がする。
全部平らげ、更には妻が残した分まで食べ切ると、さすがに食べ過ぎで胃腸に負担がかかっているのが分かる。
露天風呂に二回入って、腹ごなし。
運転疲れもあり、すぐに熟睡した。
翌日の朝食もまた、おかずの品数が恐ろしく多い。
これまた完食して、10時過ぎにチェックアウト。
裏磐梯の山は今が紅葉の盛りで、見事な色合いの山道を縫うようなドライブが気持ちいい。
途中、道の駅に立ち寄り、その後は一路喜多方を目指す。

ラーメンで町興しに成功した喜多方市だが、今回は五回目の訪問。
この日は金曜日で、客足がまばらだ。
有名な「まこと食堂」も、待ち時間なしで入れた。
ここは始めて喜多方を訪問した15年前には、一番人気の店だった。
その時は、炎天下でのあまりの長蛇の列に恐れをなし、ほとんど店のいない店を選んだものだったが、今回はどの店にも列をなしている光景は見られなかった。
まこと食堂の壁には、例によって有名人のサインが飾り立てられている。
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中は普通の民家を店に変えたもので、畳敷きの部屋で四組の客が一緒にラーメンを食べる。
我々の部屋には、東北からの老人女性の団体旅行客と、見るからに大食漢オヤジ二人組がいた。
おばさんが「ウチは全部しょうゆ味です」と言うので、注文したのは一番普通の600円「中華そば」。
待ちに待ったラーメンだが、その感想は「マァ不味くはないが、驚くほどの味でもない」。
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多くの人が、喜多方ラーメンを食べる為に、はるか遠方から出向いて来て列をなしたほどの魅力が感じられない。

首都圏や、昔はさほど熱心ではなかったと思われる関西圏でも、今やラーメン店は大激戦で、日進月歩の競争が続けられている。
そんな中で、独自のラーメンを守り続けているとも言えるが、一方では、既に味の改革に後れを取っているとも取れる。
客商売で、名声を維持するのは大変な事だ。
しかしさすがに喜多方きっての人気店「まこと食堂」だけあり、店を後にする時には四~五人の客が列を作っていた。
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ラーメンを食べた後は、これまた30年ぶりに、会津若松を目指す。
白虎隊自刃の地、飯盛山から鶴ヶ城に回ったが、お城がお色直しですっかり新しくなっているのに驚いた。
現在放映中の大河ドラマ「八重の桜」の舞台で、やたらと八重関連の幟が目立つが、やはり平日の所為か観光客は少ない。
会津兵士の服装をしたオニイチャン三人組が、観光客に鉄砲を持たせた写真サービスをしている姿が却って痛々しい。

福島県の観光地は、実際にどれほどの悪影響があるのかは知らないが、「フクシマ」と名がつくだけでだけで、風評被害の真っ只中にある。
フクシマ原発は、相も変わらず放射能をばらまいているし、汚染水も溜まり続けている。
猪苗代、裏磐梯会津若松にとっても、我々にとっても、悩ましい問題の解決目途はたっていない。