昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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無駄を嫌う人

超割り切り型の性格の人を知っている。
この人は、恐らくは日本中の大半の人が知っているほどの大会社のエライサンだったが、この人がリーダーだった時期の業績が、これまた「超」の字が付くほど低迷したため、任期を全うできずに退任した。
実際は大株主に、「辞任を迫られた」らしい。
さぞや無念だっただろうが、これもリーダーの責任の取り方なのでやむを得ない。

この人は、極端に無駄を嫌った。
「そんな事、何の役に立つんだ。やっても無駄だ」が彼の口癖。
「貴方は合理的な人ですね」と言われるのが、自分への最大の賛辞と思っていた節がある。
彼は常に、その時代最先端の経営指南書を愛読している。
だから本人は、理論的には誰よりも優れていると思い込んでいる。
選択と集中」が流行ると、「とにかく無駄モノは捨ててしまえ」と極論を発する。

難しいのは、今のところ無駄の様にみえても、その内に稼ぎ始める宝物の見極めなのだが、本人のオリジナリティは大したことがないので、大方判断ミスを仕出かす。
逆に今儲かっていても、今後とも好調が続くわけでもない。
半導体とか、デジカメとか、太陽電池とか、一時期どの会社も注目した商品が下降線をたどるまでには、そんなに時間がかかったわけではない。
もっと極端なのは原子力関連で、経営資源原発に集中した日本に冠たる大企業は、今や逆風に晒されている。
また、株価の推移に一喜一憂せざるを得ない経営者は、短期収益の為には将来有望なテーマすら捨ててしまうので、長期的会社業績が上手く行くはずがない。

例えば機械には「遊び」が必要なように、一見無駄に見えるものにも意味がある場合が多い。
何より、無駄を嫌う事で余裕がなくなり、事業の弾力性が欠落してしまう。
そんな簡単な事すら分からないまま、会社を経営する人がいる。

経営者にとっては、自分の判断力、決断力であり、その結果への責任の取り方が一番大事なのに、誰かの請け売りで自分が賢くなったと考えている人たちが何と多い事か。