昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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4月18日 感謝の集い

昔の職場の後輩たちから、僕に対する「感謝の集い」への参加依頼があった。
そもそもの趣旨は、3月7日リタイアの直前「昔の仕事仲間が集まって、退任のお祝いをしたい」と言うものだったが、段々参加希望者が増えたようだ。
実は今回の退任にあたって、送別会の類は全てお断りしてきた。
しかし、七年前まで一緒に仕事をしてきた職場連中からそんな話が出てくるとは、夢にも思っていなかった。
心からありがたく思い、この要請を快諾。
多くの参加者に都合の良い、4月18日に開催される事になった。

当日18時半、会場に赴くと、昔懐かしい連中が集まっている。
その数30人程。
当時の職場の老若男女の大多数が、参加してくれた。
最年長の出席者が乾杯の音頭、後は、わざわざ幹事役を買って出た「比較的若手」が趣向を凝らして会を進行させる。
突然の指名にも拘らず、心温まるスピーチをしてくれる後輩もいる。
当事者としては、こんな会は二度と経験できないので、最高の気分だ。
本来はさして強くもないのに、昔の仲間との差しつ差されつで、酒のピッチがドンドン上がる。

するとやおら幹事役が、パソコンを取り出した。
彼らが凝りに凝って作成した、僕の「私の履歴書」版が披露された。
生まれは○○県××町、郷土の英雄は誰それ。
僕が知らない事まで調査され、出身学校が紹介された後は、会社での業績が出てくる。
勿論、身に余るような褒め言葉が並ぶのだが、気の置けない連中なので、所々にはしっかりと落とし穴が仕掛けられている。
冷やかしやブーイングが混じり、大いに盛り上がった。
続いて諸先輩や、顧客、競合会社のエライさんたちからのビデオレターまで用意されていた。

彼らがこの日の為に、かなりの広範囲に働きかけていたことが分かり、更に感謝の念が募る。
いよいよ最後のクライマックスで、幹事が「皆さん、今からサプライズの発表です」と言い出した。
「これは、本日の主役の奥さんから仕入れた情報です」と、我々夫婦のなれ初めとか、僕の家庭での立ち居振る舞いが紹介される。
こんな事に関わる事を嫌う妻の性格を知っているので、最初はまるで作り話と思って聞いていたが、それこそ我々夫婦しか知らないようなエピソードまで出てくる。

実はこの会が始まるほんの一時間半前まで一緒だったのに、妻が幹事連中と会っているなど、微塵も感じなかった。
妻は本来、全く隠し事が出来ない性格なので、俄かには信じられない。
最後は、妻からの手紙の代読があった。
そこには、3月7日の最後の出社風景、帰宅後に深い安堵の吐息と共に「アァ終わったな。今からの生活は未知との遭遇だ」と発した第一声が印象に残っていると認められていた。
本人は全く失念していたが、改めて確かにそんな話をした事を思い出した。
それを渡されると、間違いなく妻の筆跡だ。
会は、僕の感謝の挨拶、記念品目録、花束贈呈と、大盛況の中で大団円を迎え、一人一人と握手、直接に一言ずつお礼を言って全員と別れた。

帰宅後すぐに、妻に確認した。
すると一か月以上前に、幹事連中が訪ねて来たらしい。
彼らから「サプライズ企画なので、絶対に内緒にして欲しい」と頼まれ、彼らの「この会を是非とも成功させたい」との思いの真剣さと熱意に、「これは自分も協力しないといけない」と、夫を騙し続ける事を決意したとの事。
休日にも拘わらず我が家の近所まで出向いて来た後、秘かに妻とメール交換しながら、僕を喜ばせようと創意工夫した企画を考えてくれた幹事連中と、それを意気に感じ、当日僕が出発するまで素振りすら見せなかった妻に対して、「やられたな」とは思ったが、不愉快さはゼロ。
むしろ、感謝の気持ちだ。
実は、知り合って50年弱の月日が経っているが、妻から手紙を貰ったのは初めてだ。
こんな機会でもなければ、多分一生縁がなかっただろう。
この点でも、今回の集いに感謝しなければならない。

自分が彼らに、特別の貢献をしたとの思いはない。
ただ一緒に苦労し、一緒に喜んだ仕事ぶりが、彼らの印象に残ったようだ。
それだけでも、会社員冥利に尽きる。
最後の最後に、20年以上に亘って書き連ねてきた、「僕の営業論」を幹事に託した。
小難しいモノではなく、「僕はこんな思いで営業の仕事を続けてきた」記録で、思いついたら書き加えているので、終わりはない。
その4月18日最新版は、27項目がA4の紙10枚にびっしりと書かれている。
彼らが少しでも参考にしてくれたら、これ以上の幸せはない。