昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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いつの間にか(美)少年は.........

鏡で自分の顔を見ると、「オマエは誰だ?」と愕然とする。
こんなはずではなかった。
「水も滴る」とは言わないが、「ソコソコに見栄えがいい」はずだった。
しかし鏡に映っている顔は、バリバリの年寄風情だ。
眼に力強さがない、額と目じりに深いしわがある。
前髪は後退し、髭は白髪ばかりだ。
典型的な老人顔で、色気もへったくれもない。

鏡を見るのが嫌だったのは、自己防衛本能が働いたためだろうが、こんな容貌になってしまうまでの、自覚症状は皆無。
将にいつの間にか、こうなってしまっていた。
寄る年波とはよく言ったもので、時は誰にも平等に流れているはずだが、僕個人には誰よりも早く栄光の時代が過ぎ去ったような気分だ。

長らく営業の仕事に携わっていたので、多くの顧客を定期的に訪問していた。
一か月に一度のペースで、傍にはお気楽出張のように見えていただろうが、競合他社からシェアを守るだけでなく、顧客の状況を把握するためには必要不可欠の業務だった。
しかし結果的には、全国津々浦々の名所旧跡地の周辺をウロツク事になった。
流石に観光に精を出すようなことはなく、どこでも仕事最優先。
そんな名所旧跡に興味のない鈍感人間な僕でも、最寄りの駅や顧客の会社周辺の景色が、前回に比べて一変しているのに気が付くことが多かった。

極寒の二月に辺り一面雪景色だったのが、わずか一か月後の三月には新芽が一斉に吹いてきている。
九月は残暑で汗だくになっていたのに、十月は寒さを避けるために襟を立てて歩く。
自分の身近では、一か月の時間の経過を変化として感じるのはなかなか難しいが、久しぶりの出先では、季節の移ろいを実感し、感傷的になる。
小さな変化でも積み重なると、実はすっかり変わり果てた姿になっている。
それは毎日見ていても気が付かないが、久し振りに見る事で自覚したものだ。
ところが自分の周囲となると、日々刻々と変化しているはずだが、見慣れてしまい無関心のままでいる。
結果として、変化を見逃してしまう。

それを後になって気が付いても、季節の変化には情緒がある。
子供の成長には、夢がある。
が、自分の容姿については悔恨ばかり。
気持ちだけはいつまでも若い積りだが、実は間違いなく毎日毎日、確実に老いているものだ。
久し振りに鏡で見た自分の顔が、それを証明している。