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日本人が少ない観光地、マントバ、クレモナ

多くの日本人旅行者は、徒党を組んで行動し、名所旧跡を疾風のように見て回る。
その歴史的背景とか、謂れとか、そんなのには関心が薄い。
とにかく「あの場所に行った」との、アリバイ工作が主のようだ。

そんな日本人特有の観光姿勢を嫌う日本人の中には、「日本人が行かない場所に行った」事を自慢する手合いも多い。
「○○には、ほとんど日本人がいないのヨ」とか、「△△は、日本人が行かない穴場ヨ」とかの発言が乱発される。
そんな台詞を聞くたびに、「お前は、日本人ではないのか!」と、突っ込みを入れたくなる。

しかし我々夫婦も、今回はそんな日本人があまり行かない観光地へ出かけた。

マントバは、ミラノから電車で2時間弱。
中途半端に離れているので、なかなか観光コースに組み込まれないが、知る人ぞ知る、知らない人は勿論知らない、「芸術都市」。
10時頃のメトロでミラノ中央駅に行くが、車中でいきなりカラオケが流れ始めた。
見ると、太ったバアサンが「ケサラ、ケサラ、ケサラ~ァァァ」と朗々と歌いだす。
下手ではないが、驚くほど上手くもない。
一曲歌い終わると、コップを持って車中を回る。
数人が小銭を恵むと、バアサンは次の車両に移っていった。

ミラノからマントバまでの列車で、今度は年の頃なら40歳半ばの女性が、小さな黄色いカードを乗客一人、一人に配って回る。
中には、「私は貧乏で子供が二人、ホームレスでジョブレス。どうぞお恵みを」みたいなことが書いてあり、もう一度施しを受ける為に車中を回り、同時に紙を回収していく。
見た感じは、そんなに困窮しているとは思えない。
彼女は次の停車駅で降りていったが、続いて、年配の男性が乗り込み、今度は無言でコップを差し出す。
それなりの金額が寄付されているところを見ると、ここイタリアでは、まるで働かなくても、こんな手段で生活できるのだろう。

マントバのドゥカーレ宮殿は、駅から徒歩で20分ほど。
炎天下を歩くが、湿気がないので不快感は少ない。
道路中を露店が占拠し、怪しげな洋服とか日用品を販売している。
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宮殿内は、16世紀のこの地の隆盛を示す建物や、素晴らしい絵画が溢れていた。
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ミラノへの帰り道に、クレモナに下車。
ここもまた「芸術都市」で、特にバイオリンの町で有名。
一器数億円もする、ストラディバリウスの工房があったところだ。
今でもバイオリンを作るのに、材料の木を仕入れるのは、このクレモナ周辺しかないと言われている。
ところが、駅に降りても案内図一つない。
やむなく、「ドゥオーモは何処?」と聞きながら、約20分歩いて町の中心地にたどり着いた。
12世紀に立てられた洗礼堂は荘厳そのもの、入場料タダが更に有り難味を増す。
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通りがかったエリート風サラリーマンに、バイオリン博物館の場所を聞くと、親切に途中まで案内してくれた。
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その博物館は、バイオリン製作プロセスの説明だけでなく、バイオリン名品が数多く陳列されている。
超有名なストラディバリウス以外にも、アマーティやグアルネリのバイオリンが置かれた部屋がある。
資産価値は、30億円を優に超えるのではないだろうか。
最近のバイオリン名品のコーナーでは、ボイスサービスでそれぞれの音色まで聞くことができる。
尤も当方の鑑賞能力は、1万円の楽器でも、あんな場所に飾ってあれば感激してしまう恐れが大。

それなりに満足して、帰りのクレモナ駅へ。
掲示板に、18時20分発ミラノセントラル行きと、18時25分発ミラノガリバルディ行きが、各々5分遅れと出ている。
18時25分、ホームには多くの人が待っていて、いよいよ列車到着かと思ったら、イタリア語の放送が流れ、本来ならミラノ行きが到着するホームの掲示板には、逆方向列車の到着が点された。

同時に、それまで列車の待っていた人たち全員が、どこへともなく消えてしまった。
慌てて駅構内の掲示板を見に行くと、到着2分前まで「まもなく到着予定」だったはずのミラノ行きは、二本とも画面から消えている。
駅員に掛け合うと、「次のミラノ行きは19時半だけ」と言い張るので、「18時20分はキャンセルしたのか?」と詰め寄るが、「それは別の線を走っている」と、まるで取り付く島がない。
やむを得ず、何にもないクレモナ駅で、約2時間近く、次の列車を待つ羽目になった。

あれだけ多くの人が、18時20発ミラノ行きを待っていたし、何より掲示板にはその列車が接近中と案内されていた。
それなのに、突然その列車の存在そのものが消えてしまったのは、まるで納得できない。
更に驚くのは、そんな事態に、イタリア人は文句一つ言わず、当たり前のように駅から姿を消してしまったことだ。

苦心惨憺でミラノへ帰り着いたのは午後9時ころ。
それからメトロに乗ると、今度は三歳くらいの子供をつれた夫婦で、親父が下手糞なアコーディオンを弾き、嫁さんがガキを抱きながら集金する物乞いにあった。
これで朝から、四組もの物乞いに遭遇してしまった。

生計を立てるのに、額に汗して働くのではなく、物乞い稼業に走る人が多い。
電車が、時刻表通りに走ることは稀。
数分後に到着予定の列車が、突然キャンセルされても、文句一つ言わないイタリア人。
これでは、経済危機から脱却できる見込みは、極めて小さい。

はるか以前の第二次世界大戦で、日本はイタリア、ドイツと同盟を結んだ。
ドイツもいい加減だが、イタリアのいい加減さは、もう一つ上(と言うか、下)のレベルだ。
こんな国と一緒に戦ったのだから、勝ち目などなかったはずだ。
そんな思いに浸ってしまう。