昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ノルマと〆切

仕事を辞めて隠居生活に入り、早五か月以上。
今までと何が一番違うかと言えば、ノルマと〆切時間の厳しさが無くなってしまった事だ。

今までは、何をやるにしても必ず、数値目標と達成までのスケジュールがあった。
その両方とも、心理的にも肉体的にも大きな負担要因だった。
だから一日も早く、その両方から解放されたいと願っていたが、その両方とも実際になくなってしまうと、皮肉な事だが、人間が生きていく上で、実はそれは必要だったのではと思い始めている。

人間は決して、性善ではない。
常に楽をしようと考えている怠け者だ。
だから差し迫った目標がないと、どこまでも怠惰な生活を送ってしまう。
しかし人間は、他人と比較して有利な地位を求め続ける。
他人の幸福をやっかみ、他人の不幸には同情しつつも、半ば自分に降りかからなかった事を安心する。
他人との競争には、負けまいと努力する。

個人の限界を悟れば、乗り越えるために徒党を組み、派閥を作る。
その集大成が、企業や宗教団体で、最終的には国家になる。
自分が所属する集団を盛り立てるためには、対抗する集団との抗争をも辞さない。
そして、そんな矮小な人間が組織に所属した時の行動規範、モチベーションが、ノルマと〆切の達成なのではないだろうか。
大袈裟に言えば、僕の会社生活はこんな事の繰り返しだった。

ところがこれが習い性となってしまうと、集団から離れて個人になっても、やはりノルマと〆切の設定が必要だ。
実は、それを自らに課さないと一気に耄碌してしまうのではとの、恐怖感に取りつかれている。
組織に縛られない自由人と言えばカッコ良いが、それは赤ん坊と同じレベルになったのであって、早い話が、常に誰かに世話をしてもらわなければ、生きていけない立場になっている。
しかも年寄りは赤ん坊と違って、見てくれも性格もまるで可愛げがない。
だから他人様に頼ってばかりで自立していないと、単なるお邪魔虫の嫌われ者になってしまう。

瘋癲老人の当方、現在は、朝5時出発、一日2時間、12劵Εーキングの自らのノルマと課している。
面白味はないが、ノルマなのだから、成し遂げる事にこそ意味がある。
尤もその後は、何もやる事がない。
やむを得ず、午前中はオペラ、午後は英語の勉強と読書に充て、夜9時には就寝。
こんな規則的な生活を送って、ボケを少しでも遅らそうと奮闘努力の真っ最中だ。