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東海大四高、西嶋投手の超スローボールを巡る議論

何故か、こんな不毛な議論が巻き起こる。
東海大四高、西嶋亮太の超スローボールに、賛否両論の意見が発生しているらしい。

こんな場合の反対意見は、「高校生にあるまじき」とか「不真面目、ふざけている」とかに集約される。
「ダメとは言わないが、少なくとも投球術とは呼びたくない。意地でも。こういうことやっていると、世の中をなめた少年になって行きそうな気がする」と批判した元アナウンサー岩佐徹などがこの典型だ。

しかし今の高校野球に、教育的背景を求める方がおかしい。
彼らは、母校の名誉、実は母校の利益のために戦っている、高校野球界のプロ選手でしかない。
母校は彼らに多額の投資をしているので、首尾よく甲子園で大活躍すれば元が取れるが、不幸にして地方予選で敗退となると、まるで大損になってしまう。
だから、選手への授業料免除とか、練習場と寮完備とかは当たり前。
彼らのとっての本音は、寧ろ選手の学校の成績など、どうでもいい代物でしかない。

午前中は一応、授業に出たりはしているだろうが、その後は夜まで練習三昧。
野球技術の修練に明け暮れているのが高校球児の実態で、そこまでしないと甲子園出場など覚束ない。
極めて厳しい競争社会なのだ。
但しこのような野球漬け生活は、高校球児にとっても悪い事ではない。
彼らにとっての甲子園と、その地方予選は、自分を最高に高く売り付ける晴れ舞台。
ここで注目されれば、超高給取りのプロ選手になる事も夢ではなくなるし、偏差値の学力試験では到底無理な有名大学への入学も視野に入ってくる。
将に今の高校野球は、学校側、高校球児の双方にとって、ウィンウィン関係が成立しているビジネスの場なのだ。

そんな中で、東海大四高は、甲子園出場まで勝ち上がってきた。
それだけでも大変なエリート集団なのだが、その甲子園初戦で、西嶋亮太は超スローボールを投げた。
しかしこの超スローボールは、ストライクゾーンを横切る幅が小さいので、ボールと判断されるリスクが非常に大きい。
投手にとっては、決して有利な投球ではない。
それでも超スローボールを投げたのは、想像するに、打者との駆け引きで間を外したと思われる。
言わば、全てのリスクを背負った投球であり、断じてふざけ半分ではない。

そもそも、超スローボールが教育的に悪いと言うのなら、コソコソ隙を窺って次の塁を盗む「盗塁」こそ、真っ先に止めさせるべきだ。
将に「頻繁に盗塁などをやっていると、世の中を舐めた少年が増えてしまう」と心配するのが先だろう。
野球にはその他にも、ルール上「隠し玉」が認められている。
あるいは、バッターを焦らす為に牽制球を多投する事も、駆け引きと称して許されている。
「野球は化かしあい」と喝破した評論家もいる。(確か、野村克也だったと思うが)
野球に教育を持ち込んだら、それは野球ではなくなる。

そんな球技に、「純真な高校球児が流す涙と汗」みたいな感動物語は、石器時代の頭脳集団、高野連と、記事の捏造が続く朝日新聞が作り出した感傷的、小児的幻想に過ぎない。
高校野球には純真な高校球児などいないし、「勝つか負けるか」の、弱肉強食の勝負師の世界だ。
元アナウンサー岩佐徹も、高校野球に詳しいのなら、東海大四高、西嶋亮太の超スローボールに違和感を持つのではなく、すっかり高校の宣伝媒体になっている高校野球と、それを無批判、無内容に煽るマスコミにこそ疑問を呈するべきだろう。