昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ベルリンの壁

1989年ベルリンの壁崩壊は、東西冷戦終結の象徴だった。
僕の若かりし頃が、マルクス主義の最盛期だったかもしれない。
当時隆盛だったマルクス経済学の権威、向坂逸郎は、著書の「マルクス伝」で、「世界中の三分の一の国が、社会主義共産主義国家になった。これこそが、マルクス主義が正しい思想である証拠だ」と書いていた。
僕は不真面目学生だったので、書き出しのこの部分しか読んでいないが、そのときの勢いは何処へで、今や共産主義を名乗る国は、世界でも数国になってしまった。
その中には、中国や北朝鮮のように、果たしてこれが人民平等を唄った共産主義国家なのかと疑わざるを得ない如何わしいのもあるので、最早共産主義は死に絶えたと断言しても良いのではないだろうか。
その切っ掛けは間違いなく、ベルリンの壁が崩壊した事だ。


そのベルリンの壁は、現在ではごく一部しか残っていない。
そしてそこは、多くの素人画家たちの落書き作品が展示されるギャラリーとして、しっかりと名所となっている。
ベルリン三日目は、そのベルリンの壁ギャラリーを見物に行った。
中でも一番の人気作品は、当時のソ連、ブレジネフ大統領と、東ドイツ、ホーネッカー首相との、濃厚なキスシーンを描いたものだ。
僕の記憶では、実際に写真に撮られている場面のはずだが、この壁の前は観光客が押しかけていて、ごった返していた。


他にも、まさに嗜好を凝らした作品が並んでいて、おそらくは、1km以上の長さになるだろう。
その見物が終わり、駅に向かっている途中で、横を歩いていた妻が急に大声を上げた。
隣のオンナに対して、「財布を掏ろうとした!」と、文句を言っている。
確かに、バッグのチャックが開いていた。

僕も、「Heyyou!」と怒鳴ると、オンナは両手を広げて、如何にもバツの悪そうな表情で、「何もしていない」と訴えている。

すぐにバッグの中をチェックしたところ、財布が無事だったので安心したが、オンナはそばにいた仲間二人と、逆戻りで去っていた。
オンナの手がバッグに入った瞬間に気がついたので、未遂で済んだのが実態のようだ。
ドイツは比較的に治安はいい国だが、それでもやはり、観光客を狙ったコソ泥はいる。


旧東ドイツの企業は、統一後は苦戦している。
フランクフルトからベルリンまでの駅前にも、つぶれた企業の廃屋が立ち並んでいた。
その中でも、大成長を遂げたのがAMPELMANNだ。
元々は信号機の会社だが、赤青ランプの人の形をロゴにした賞品を売り出し、大人気を博している。
その店を探してSバーンを利用、HACKESCHER MARKT駅に行く。
その店は駅のすぐ前にあるが、場所が奥まっているので気がつきにくい。
しかし客は多く、人気の高さが分かる。


そこからホテルに帰る列車で、初めて車内検察を受けた。
ドイツでは、列車に乗る時も降りる時も、駅員のチェックもないし、チケットを回収する機械もない。
タダ乗りヤリ放題と思われるが、たまに検察があり、ばれるとペナルティが大きいようだ。
我々夫婦は、一日チケットを持っていたので、もちろん問題なし。


午後4時に、予約していたドイツ国会議事堂見物に出かけた。
第二次世界大戦の爆撃で燃えたドームを、今風に再興したもので、見物料はタダだが、予約が必要だし、入場時にはパスポート提示とセキュリティチェックがある。
螺旋状の登り坂を登りながら、ベルリンの町を一望出来るので、観光スポットとして人気がある。
しかしこの日のベルリンは、雨模様で寒い。
最上階は天井が空いているので、雨が振り込んでくる。
早々に引き上げ、ドーム入り口に展示されている写真で、国会議事堂の歴史を勉強した。


夜は、やはり昨日と同じアジア料理店へ。
この店は、タイ料理、ベトナム料理と日本料理のチャンポンで、摩訶不思議なメニューが並んでいるが、ドイツ人が溢れかえっているほど人気があるようだ。