特に従来は無関心層と見られていた学生たちが、自らの意思でデモに立ち上がった(と言われる)SEALDsに至っては、「これこそ正義」と取り上げられたし、リーダーが日本の総理大臣をバカ呼ばわりしても、誰一人注意することもなく、むしろ英雄視するありさまだ。
そんな安保法案反対のデモ隊の中に、ほんの少数だろうが、年端もいかない子供たちが参加していた。
するとマスコミは、「こんな小さな子供たちまで、安保法案に反対している」と持ち上げた。
こんなケースは決まって、子供の横に親がいる。
そしてこれも決まって、「子供が自ら、デモに行きたいと言った」と、如何にも自主的に、安保法案は幼気な子供たちまで反対する悪法と印象付ける番組構成になっている。
少し前の話だが、消費税率アップの討論会で小学校の教師が、「消費税率アップは、こんな子供たちにまで厳しい負担を強いる」と主張していた。
教師ならば、子供たちに「国民には納税の義務がある」と教えるべきだし、消費税はあまねく国民全体が負担するべき税制であることを教えるべきだ。
なのに、「子供も困っている」などと正義ぶって振る舞うのは、将に子供を盾にし、子供を利用した政治活動だ。
基本的に子供は、政治的には無色の存在だ。
その無色の子供に最初に影響を与えるのは、家族であり教師になる。
その家族や教師が、無色の子供にある種の考えをすり込めば、その子供はあっという間に「革命」兵士に早変わりする。
中国の文化大革命で、毛沢東が政敵をやっつける最大武器として使った紅衛兵たちは、まるで政治が分かっていない小学校、中学校の生徒だった。
権力者や為政者が、子供を政治に利用するのは、昔からの常套手段だ。
しかしそれは子供たちにとって、悉く悲劇的な結果を迎える。
何故なら、物事の判断基準も確立していない子供に、ある種の思想をすり込んで利用すれば、その子供は終生消えないような行動を仕出かしてしまうからだ。
子供だから、物事の程度が分からない。
その為、ある種の思想に凝り固まった子供の行動は、ブレーキが利かない暴走状態になり、敵に対して容赦のない過激行動をしてしまう。
たかがデモと言うかもしれないが、日ごろから親が子供を洗脳していなければ、子供が自ら「デモに行きたい」など、言い出すはずがない。
子供には、友達と遊んだり、勉強したりする時間の方が、デモをするよりも絶対に楽しい。
それなのに、「戦争反対」のプラカードを持ってデモに参加し、マイクを突き付けられると「自分でデモ参加を決めた」と答える。
既にこの段階で、子供にとって危険信号が点滅している状態だ。
こんな子供に誰がした?!
それは隣で、「この子が自分から、デモに行きたいと言うので連れてきた」と、自慢げに話している親に違いないのだ。
この親は、自分の主張を際立たせるために子供を利用し、マスコミはこの子供を反対派のジャンヌ・ダルクとして持ち上げ、安保法案反対を先導する。
毛沢東の政敵を大量に殺害した紅衛兵や、敵の殺害に余念のないイスラム国の少年兵たちと、健気に親の意見のサポート役を演じているデモの子供には、一体どんな違いがあるのか。
全員、大人の都合を押し付けられている子供たちだ。