昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ニュルンベルグ市内観光

ナチス党大会会場
ナチスが統治した第二次大戦までの歴史は、ドイツの恥部となっている。
そのナチスは、1933年以降、ニュルンベルグで党大会を開催した。
そのための会場は、ナチスの頭脳のすべてを集め、視覚、聴覚に訴える工夫が凝らされている。
ヒトラーから、若くて優秀と認められたゲルマン人が、カッコいい制服に身を包み、一糸乱れず行進する。
彼らが一斉に「ハイル・ヒトラー!」と敬礼する先には、満足気に見守るヒトラーがいる。
そんな映画でドイツ人を洗脳したヒトラーは、ニュルンベルグ法を制定して、ユダヤ人を弾圧する。
そのスタートになったのは、このニュルンベルグ市だ。
そう思って振り返ると、昨日はじめてこの地に足を踏み入れた時に、何とも異文化を排斥したドイツそのものの雰囲気を感じた理由が分かった。

しかしドイツ人からも、今や完全に否定されているナチスの存在とは、いったい何だったのだろう。
第一次大戦国のドイツは、戦勝国から支払い不能なほどの戦後賠償を求められた。
その結果、経済が二進も三進も行かなくなった閉塞感が、ナチス台頭を容易にしたのだろう。
またユダヤ人を平然と弾圧した、ドイツ人の深層心理は何なのか?
ドイツ人が日常的に、当時のユダヤ人に対して反感を抱いていない限り、いくらヒトラーに唆されても、あれほど非人間的な行為は行えなかったはずだ。
当時のユダヤ人は、インドネシアで大量に虐殺された華僑と同様に、成功者で富を独占していたことが、ドイツ人からの怨嗟の対象になっていたのではないか。
ドイツ人は、ナチス時代を深く反省していると言われるが、人間は自分よりも恵まれている連中には、深く嫉妬してしまう。
そんな心理状態に、何か火をつけるような触媒作用が働くと、、何時また同じ時過ちをしでかすかもしれない。
そんなことを考えながら、ナチス記念館を見学した。

午後は、ナチスが敗北した後の戦後処理の場となったニュンベルグフュルト裁判所を訪れる。
但し、Uバーン出口から反対方向に歩いたために到着が遅れ、ツアー開始時間に間に合わず、やむを得ず、音声ガイド案内で見物することになった。
最初の見学コースは、裁判が執り行われた600号法廷。
裁判官、被告、検事、弁護人、通訳、マスコミの位置が詳細に述べられていた。
もっとも東京裁判もそうだが、所詮は戦勝国が敗戦国を裁いたのだから、裁判の正義は一方に偏っている。
ドイツ人たちがも多く訪れ、過去の過ちを認め、二度と同じ過ちをしないように改めて決意を新たにすると言うが、ドイツ人の本音を聞いてみたいものだ。

ホテルに帰還後しばらく休息をとり、元気を取り戻したところで夕食へ。
ところがこの日は日曜日。
ほとんどの店が休業している。
ウィンドウには灯りがともり、ひどいところは路上に看板まで出ているのに、客も従業員はいない。
やむを得ず、とにかく開店しているファストフード店でスパゲッティを食べる。
不味くはないが、美味くもない。
こんな微妙な味付けができるのなら、もうチョット工夫して美味い物を作れ!
ドイツ人にそんな文句を言いたくなるほど、連中の作る食べ物には魅力がない。
海外を旅すると、改めて日本の良さが分かる。