昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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公明党への疑念

僕は敬虔な神道イスト、実態は無宗教徒を自認しているが、他人の宗教には寛容な積りだ。
最近世の中を騒がせた清水富美加の「幸福の科学」だって、教祖の大川隆法なんてインチキ野郎に違いないと思ってはいるが、オウム真理教のような反社会勢力にならなければ、何をしたって一向にかまわない。
 
僕が高校生だった頃が、ちょうど創価学会公明党として政界進出した勃興期だった。
同じクラスにも熱心な信者がいて、学会否定派だった僕とは論争になったりもした。
尤も僕の方は、主張が「その昔から、坊主が政治に口を出すと揉め事になる」程度の稚拙だったのに対して、学会側は小難しい理屈を振り回していたので、傍目には僕の方がやり込められているように見えたかもしれない。
 
しかしその後の創価学会は、一時期の折伏と言われた強引な勧誘活動も控えめになり、公明党が国政でも地方政治でも、一定の議席を確保する勢力となっている。
我が家にも選挙前には創価学会員が投票を依頼に来るが、決して不快な思いをすることはない。
創価学会もまた、時代に合わせて変化しているのだろう。
しかしその政治団体公明党には、単なる自民党の補完勢力、自民党の下駄の雪との批判、悪口が付きまとっている。
しかしこれだけ長い間自民党と連立してきた公明党には、自民党のお目付け役みたいな役割があったとも考えられる。
 
またその機能こそ、公明党創価学会の自負だったはずなのに、僕は最近の東京都議会公明党の行動を見て、「公明党創価学会は風見鶏で、信頼に値しない」との疑念を持ってしまった。
 
都議会で自民党と決別した時、ブログで知り合った元創価学会員は、「改革を進める小池知事と組むことは東京都民の意思」と書いた。
あたかも東京都の闇に挑む小池百合子こそが正義で、これを邪魔する自民党ブラックボックスとの言い方だ。
しかしそれはおかしいだろう。
東京都議会でも、公明党自民党と組んで政権運営してきたはずだ。
自民党ブラックボックスなら、公明党だって同じ穴の狢だ。
それを勝ち馬に乗ろうとして、それまでの政治姿勢を捨て去るのなら、その主張の一貫性には信頼がおけなくなってしまう。
 
更に昨日の、石原慎太郎証人喚問。
この時に都議会公明党を代表して質問した野上都議は、「石原知事の裁可が都民に多大の不利益をもたらしたことを認めろ」と迫った。
そういう公明党は、豊洲移転に賛成してきたはずではないか。
そしてこの女性都議も、その公明党都議団の一人ではないか。
どんな神経をしていれば、こんな無茶苦茶な責任転嫁を口に出すことが出来るのだろうか。
 
公明党は、東京都政と国政は全く別物と考えるらしい。
そんな二枚舌は、政治の世界では当たり前だとしても、創価学会という宗教を背景にした公明党にとっては、目的のためには手段を選ばない体質が現れたと見破られる。
選挙目的で人気者にすり寄る姿は、日蓮上人の教えにはそぐわないだろうし、見ていても愉快なものではない。