それが営業妨害に当たるとして、高須院長が有田議員を訴えると通告した。
有田芳生もまた、「世界が相手になる」と大きく出たので、ネット世界は大騒ぎになった。
しかし高須院長の奥方、西原理恵子の鶴の一声で、高須院長が「打ち方止め」を宣言し、アッと言う間に終幕となった。
ネットでは、一部の隊員が「有田は我々の代表」とツィートし、有田がそれにリツィートしたことが有田代表の証拠と騒ぎたてているが、裁判になった場合は余りにも脆弱な根拠だ。
有田自身は、しばき隊を大事な仲間と認めているが、自分が代表と名乗ったわけではない。
ネット社会には、アンチ有田芳生の人間はゴロゴロ存在する。
この大半が、裁判沙汰では百戦百勝と信じられている高須院長が、仇敵、有田芳生を取っちめてくれることを期待していたが、流石に高須院長は、勝てる確信がない戦いは避けたと見るのが妥当だ。
ところで、ナチスと言えば、それがすぐにその人物の全人格を否定する悪口になるのは何故だ。
無論、ナチスやナチズムを礼賛するのはありえない。
高須院長も、ナチスの業績の一部を認めているだけと発言している。
中国、韓国の両国は、そのドイツに比べて、日本の反省は足りないとイチャモンをつけ続けている中で、日本人が「ナチスとヒトラーにも良い所がある」などとでも発言すれば、中韓の前に、日本国内のサヨク側から総攻撃される。
しかし悪逆非道だったナチスにも、今に残る功績があるのは間違いない。
いずれもモータリゼーションを先取りし、世界の模範となっている。
経済学の世界でも、ドイツは国家資本を投入して世界恐慌から脱出に成功している。
また党大会とベルリンオリンピックを派手に開催し、テレビや映画を総動員して、人を惹きつける演出を始めたのもナチスであり、この実践内容は今日のあらゆるマスコミや企業の参考になっている。
実は、有田芳生とその仲間と言われる「しばき隊」は、反対派へは暴力使用をも辞さないことを公言している。
「暴力には悪い暴力と良い暴力がある」との、サヨク特有の理屈付けだ。
自分達が行使するのは正義の暴力だから許されると、勝手に結論付けてしまう。