早速希望の党側は、左派勢力や首相経験者は受け入れないと、露骨に選別と排除をやり出した。
困ってしまったのが、それまで民進党を引っ張りまわしていた左派、所謂リベラル派の連中だ。
ところが、この二点に反対することこそ、民進党リベラル派、左派の、政治家としての命綱だった。
何よりも通常の神経の持ち主なら、これほどの屈辱的な踏み絵を踏むことは、議員云々より前に人間として耐えられない。
と、そんなイメージでいたら、実際には信じられないような事態が進行している。
だから辻元も枝野も、誰がどう見ても予選失格のはずだが、本人は「小池百合子とは波長がある」と、見苦しいまでの秋波を送る。
山本の今までの行状からは、安保法制に賛成する連中からは一番遠かったはずなのに、「踏み絵が悩ましい」と全く煮え切らない。
それならやせ我慢して、無所属でもいいから今までの主張を繰り返した方が、今までの支持者の信頼を得るし、生き様としてもカッコいい。
ドン底に落ちた時の生き方こそ、その人の人間性の全てが表面化する。
僕は思うのだが、痩せても枯れても日本の一部オピニオンリーダーの役割を果たしてきたとの自負があるのなら、少なくとも埃、モトイ誇りだけは捨てて欲しくない。
いくら政治家が落選したらタダの人以下と言っても、持説を節操なく曲げると、他人からは侮蔑の眼差しで見られる。
そんな政治家が、何か世の為、人の為になるような政策に関われるはずがない。
ならば、武士は食わねど高楊枝!
民進党の残党は、少なくとも武士として政治家人生を全うする方が、まだ再起の可能性がある。