僕は、超田舎の一軒家で育ったので、声が大きい。
僕だけでなく、家族全員が大声だった。
よくよく考えれば、周囲に物音一つない環境だったので、小声でも充分にコミュニケーションはとれたはずだ。
が、近所に全く遠慮しなくてよかった所為だろう、とにかく大音量で喋る癖がついてしまった。
世の中には、小声でしか喋らない人もいる。
それどころか、絶対に大声を出せないような人までいる。
僕は、そんな人の存在が信じられなかった。
大声で喋るなんて、何にも難しいことではないと思っていたからだ。
ところが、研修会なんかの点呼の時、一人だけ全く小声で返答するヤツがいた。
当然、「気合が足らない!」と、再点呼となる。
しかし何度やっても、その男は消え入るような声で「ハィ」としか答えない。
と言うよりも、でかい声を発声できないのだ。
彼と仕事をすると、確かに耳をそばだてないと、何を言っているのか聞き取れない。
品の良さは感じられるが、仕事仲間としてははなはだ迷惑だ。
「では大声の方が良いのか?」と言われると、こちらもまた困る。
こちらが電話中に、隣で電話されると、相手の声が聞き取れない。
電話の場合、普段よりも1オクターブほど音階が上がるので、大声の持ち主の電話は、部屋中に響き渡る。
僕も周囲に迷惑をかけないために、電話の時は出来るだけ小声で喋るように心がけていたが、話しが込み入ると、どうしても段々と大声になってしまう。
電話の度に、反省しきりだった。
大声でよかったのは、年寄りと話す時だ。
義父、義母ともに長生きだったが、歳を取るに従い耳が遠くなった。
義兄は生来の小声だったので、両方とも聞き取りに苦労していたが、僕はいつも大声だったので「話がよく分かる」と喜ばれた。
たかが大声の持ち主だっただけで、親孝行ができた。
そう言えば、ドイツでDB(ドイッチェ・バーン)を利用した時、プラットフォーム全体に轟亘るような大声で、乗り場変更をアナウンスしている黒人がいた。
乗車が間際に迫った段階での変更だったので面食らったが、DBチケットの裏側に、「突然の変更は、ラウドスピーカー(Loud Speaker)がプラットフォームを歩きながらお知らせします」と書いてあった。
あの黒人は、あの大声で職にありついていた。
人間には、無駄な能力はない。