マイケルジャクソンは有罪と書いたら、「証拠がないから無罪だ」と早速に抗議された。
当方も、「証拠はないが、絶対に有罪と信じている」と、反論にもならぬ反論をするが、何となく子供の喧嘩みたいになってくる。
僕には、マイケルは絶対に有罪にしか見えないのに、「いや絶対に無罪だ」と思う人が出てくる。
お互いに何らかの証拠を持っているわけではない。
全く実態を知らないマイケルジャクソンを悪い奴と思うか、いい奴と思うかを言い争っているに過ぎない。
いずれにしても単に信じているだけだ。
同じ情報から、全く違う結論を持ってしまう。
そして、しみじみと思ったが、世の中で僕と同じ考えの人は半分ぐらいしかいない。
全員一致なんて先ずありえない。
コイズミ首相が好きな人と嫌いな人も相半ばして存在する。
靖国神社参拝問題も、絶対に行くべき、いや行くべきではないの両論がありどちらにも立派な理屈がついている。
キリスト教とイスラム教もそうで、どちらも全ての信者を救ってくれるはずだが、どちらを信じるかで殺し合いにまで行ってしまう。
結局、個人の感性と人生観でどっちを信じるかになってしまう。
こんな事で喧嘩が絶えないなんて、まったく人間は厄介な動物だ。