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いささか食傷気味だが、大相撲の八百長問題について

今回の騒動は、
1.横綱を目指し絶好調の白鵬の師匠が
2.横綱朝青龍への八百長工作を
3.よりによって愛人に喋った(自慢した)ところ
4.テープにとられ
5.週刊誌に持ち込まれた
との、どう考えても間が抜けた話である。

当事者の宮城野親方は、一切ノーコメントを貫いているらしいが、そもそも必死の形相で無実を訴えても信用されないような失態なので、ノーコメントとは、「実はついつい、裸だったので気が緩んで、自慢してしまった」と自白しているようなものだ。
相撲協会も、八百長記事を掲載した週刊現代に対して、事実無根と裁判に訴えていたのに、身内から馬鹿が現れたものだから、すっかり動転してしまい、北の湖理事長も記者会見を開いたものの、これまたノーコメントを繰り返す羽目になってしまい、満天下に恥を晒した状態となっている。

元々、国技と称し、日本の伝統に従い、古式床しく、恭しく礼儀作法に則ってはいるが、今時ちょんまげ、まわし姿の大男が、裸で勝負する相撲なるスポーツは、どう見ても時代錯誤としか言いようがない。
また、古くからの様々な柵に雁字搦めだった相撲界には、急速な近代化を阻む勢力や風習が跳梁跋扈している。
例えば、多くの勧進元は、地元の有力者と称する「その筋の」人や団体が多い。
何より、相撲取り自身が「ゴッツアンです!」文化そのものであり、タニマチから領収書不要の資金援助が当たり前だ。
こんな古い体質の業界なので、八百長か否かは意見が分かれるかもしれないが、何度も対戦する同僚のような相手に対して気力が沸かない、所謂「無気力相撲」は大いにあり得ただろう。

相撲界の八百長疑惑に対しては、かって週間ポストが徹底的に追求していたが、いつの間にかすっかり下火になってしまった。
また、元関脇の板井が、外国人記者協会で「私が八百長中盆だった」と告白して事もある。
相撲協会は、その都度、黙殺してきたのに、今回の週刊現代に対しては、今までの対応と違い、裁判に訴えて自分達の潔白を証明しようとしていた。
恐らく、双方に何ら証拠がないので、水掛け論に終始し、痛み分けを狙っていたのだろうが、身内の馬鹿親方が、ペラペラと余計な事を喋ってしまったので、大いに困っているだろう。

まぁ、僕のような好い加減な人間は、例え大相撲に無気力勝負があったとしても、気色ばんで抗議するまでもないと思っている。
一部の潔癖症を除いて、かなりの人が同じような意見だと思うのだが………。