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品川区の通り魔事件について

正月5日、東京都品川区で高校二年生の男子生徒が包丁で通り魔事件を起こした。
五人の人が怪我をしたが、不幸中の幸いか死人は出なかったようだ。
しかし、これは単にタマタマであり、最近の風潮では我々もいつ何時このような災害に合わないとも限らない。
今回の少年は、「殺してやる」と叫びながらの凶行であり、且つ「誰でもいいから皆殺しにしたかった」と供述しているから、明らかに殺意を持っていたとしか考えられない。

このような事件が起きるたびに、なぜ起きたのか社会的背景とか、犯人の精神構造とかが解説される。
今回も、「抑圧され歪んだ心理状態が、誰かを攻撃する事でバランスを取ろうとした」とか、「この少年だけの特異なケースではなく、我々の周りでいつ起きても不重ではない」とか分析されている。

しかし誰もが、何がしか思い通りにならないもどかしさの中に生きているが、こんな傍迷惑な行為に走る輩は極めて少数派のはずだ。
また、今回の少年も精神的に不安定で通院歴があったらしいので、事件を起こしてしまうと「なるほど」となるのだが、一体家族はこの少年をどう管理していたのだろうか。
また、今回の事件も間違いなく少年の精神鑑定が行われ、責任能力欠如との結論で、最高刑でも数年間の少年院送りで、立ち直る為の教育が実施されるのだろう。

僕は、どうにもこのような事が理解できない。
そもそも、このような事件を引き起こしている以上、精神的に正常であるはずがない。
異常者だからこそ凶行に及ぶはずだが、こんな大事件の犯人でも、ある程度の時間が経過すればいわゆる「シャバで暮らす事が出来る」のが現実だ。

神戸で事件を起こした酒鬼薔薇少年も、少年院出所後、既にどこかで戸籍を変え、顔を整形して、社会生活しているらしい。
事件が残虐なほど、精神的に責任能力がなかったと判断され、何と無罪になってしまう。
だから、悲惨な犯罪が起きるたびに、必ず弁護団からは犯人の精神鑑定を求められる。
そして、過去に事件を起こした多くの犯罪者が、普通の市民として生活している。

しかし、もしも矯正ならずに再度犯行に及んだ時には誰が責任をとるのだろうか?
被害者に比べ、加害者の人権は守られる。
いわゆる人権派弁護士や、加害者の権利を声高に叫ぶ人達は、自分が被害者の立場になった時にも同じ事を言うのだろうか?
なんだか割り切れない。