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青少年犯罪に厳罰を

ここのところ、青少年の無差別殺人がニュースになっている。
先だって、茨城の荒川沖駅前で無差別に通行人を襲い、八人の犠牲者を出した犯人は、直前に人を殺していたとの事。
逮捕された後も平然とした表情で、「誰でもいいから人を殺したかった」と供述したらしい。

また水曜日は、18歳の少年が岡山駅のホームで人を突き落とし、殺してしまった。
この犯人も、「誰でもいいから人を殺したかった」と供述。
こんな狂人が徘徊していたのでは、どこにいても安心できない。

犯人の父親は、「何とお詫びしたら」と号泣していたが、しかし何を償っても死者が生き返る事はない。
勝手な思いで、他人を殺めたり傷つけた犯人には、いかなる刑罰を与えても償えるものではない。
しかし、こんな無差別殺人を起こした憎っくき犯人達には、少年法の壁や、あるいは精神鑑定による助け舟がありうる。
また、妙な理屈や詭弁で犯人を助けようと画策する弁護士や人権派団体もある。

まさに、殺された被害者は殺され損なのだ。

死刑については、犯罪の抑止力にはならないとの見方がある。
しかし、山口県光市の母子殺人事件の犯人は、今や醜いばかりに死刑判決から逃れようとしている。
これはまさに逆説的に死刑制度が犯行の抑止力になっている証拠だ。
しかし、「まだ若いから、更生のチャンスがある」との理由から、青少年犯罪に死刑判決が下りるケースは少ない。

僕は、人を殺めた犯人には、無条件で死刑を適用すべきと思っている。
しかし、このような措置は現実には難しい。
であれば、是非とも「懲役200年」とか「懲役500年」とか、どんなに特赦があっても絶対に二度と再び娑婆へ復帰できないような判決を具体化して欲しい。
そして、刑務所で厳しい仕事に従事させ、せめて世の中に少しでも貢献させてほしいものだ。

こうしたとしても被害者やその家族がいやされる事はないが、せめて、被害者が味わった苦痛以上の罰を持って、罪を償う事が必要だと思う。