昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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谷亮子北京五輪代表選出の構造的問題

柔道の全日本体重別選手権は、北京オリンピック代表選考も兼ねていたはずなのに、決勝で負けた谷亮子が代表に選ばれてしまった。
いつもの事ながら全く理解に苦しむ。

日本柔道連盟のお偉方にとっては、今回の選手権試合は単に谷を代表に選出するセレモニーでしかなかったようだ。
最初から消化ゲームでは、目の色を変えて谷選手に挑んだ山岸選手はピエロでしかない。
この辺は、世界記録保持者でも選考レースで負けたらオリンピックの代表になれないアメリカ陸上の一発勝負に比べ、いかにも分かりにくい日本型システムの典型のような気がする。

大体、いつまでも過去の実績とか経験を優先するから若い芽を摘んでしまうことになる。
これは、本能的な老人保護政策であり、その為に連盟とか協会を作り、昔の名前を捨てきれない老人集団が幅を利かせてしまう。
スポーツにおいては、大半の上部団体がこのような構造的問題を抱えている。
こんな連中にとっては、分かりやすい基準ほど困ってしまうものはない。
「選考会で勝てば代表」と単純明快ならば、経験則や実績の屁理屈が通用しない。
だから自分の影響力を残そうとすれば、「ああでもない、こうでもない」と、理屈にもならない理屈を振り回すしかなくなる。
今回は、谷は選んでも野村は選ばない等と、全く自家撞着そのものだが、柔道連盟は自分たちが絶対に正しいと信じ込んでいるのだろう。

しかし、谷選手が代表に選ばれたようなプロセスは、一般社会、それも会社では当たり前のように横行している。
会社の経営者は、自分の任期が終わった後も、なんだかんだと職名を変更しながら延々と会社に居座り、そして決まって思っている事は、「自分がいなければ会社は立ち行かなくなる」との根拠のない不安感だ。
これもまた、過去の名声や経験だけがアイデンティティの典型だが、本人は全く気がつかない。
会社の中でのこの現象は、別にトップ人事だけではなく隅から隅まで満ち溢れ、いつまでも先輩社員が後輩に道を譲りたがらない風潮に染まっている。
通常は、ベテランと称される人たちに悪意があるわけではないが、若者の所作をいつまでも不安がり、自分が目を光らせていないと心配に思うのは、年寄りの傲慢さでしかない。

今回の選考会の結果、不透明に代表になった谷選手への批判は強まるだろう。
しかし、谷選手を批判している人の何割かは、自分の経験と実績を過大評価し会社で同じ事をしている可能性がある。
以って他山の石、自分の過去の栄光に浸るのではなく、若者の可能性を信じる事が出来る先輩や老人にならなければならない。