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大相撲には八百長があると思う

朝青龍が、相撲の八百長問題で証人として出廷した。
横綱の証言なんて前代未聞の大事件だ」と評判になった。
今後は武蔵川理事長も出廷予定らしいから、日本相撲協会も大変だろう。

問題はただ一点、「相撲界に八百長はあるのかないのか」なのだが、原告の相撲協会は当たり前だが全面否定、被告の講談社フリーライター武田頼政は「絶対にある」と平行線を辿っている。

しかし、大胆に推測すれば「八百長はある!」
極論すれば、大相撲は八百長を前提に運営されている。

この間異口同音に「相撲は日本の文化そのものだから、強いだけでは駄目」と、朝青龍の品格を攻撃した人たちがいる。
横綱審議会の面々や、やくみつる玉木正之達は、こぞって「日本文化を守れ」「朝青龍は許せない」キャンペーンを繰り返してきた。

しかし、相撲が日本文化そのものならば、間違いなく八百長は存在するはずだ。
何故なら日本文化は、農耕民族的横並びの談合が基本であり、突出を嫌うものだからだ。
日本では、隣近所とうまくやっていれば問題がない。
一人勝ちは絶対に駄目で、助け合って生きていくことが大事だ。
日本文化が横並びや協調を是とするならば、八百長でバランスをとる事が悪いとは思わないだろう。

また花相撲では、俺が村の相撲取りが優勝するのが常だ。
誰も不思議とは思っていないが、これなど八百長そのものであり、毎回こんな事を繰り返している相撲取り達が、八百長に鈍感になるのは当たり前だ。

識者が相撲を評して、「強いだけでは駄目」と大っぴらにコメントするのも、自分達は気が付いていないが、実質的に八百長を認めているに等しい。
七勝七敗で千秋楽を迎えた力士の勝ち越し率が高いのは、必死になって頑張る面もあるが、やはり相手が勝ち星を譲っていると思うのが普通だ。
いつも一緒に巡業したり酒を飲んだりしているのだから、かなりの確率で助け合いの八百長相撲を取っているに違いない。

そしてこれこそが、国際化を拒否しながら日本文化としての相撲を守ろうとしているものなのだが、一方では「八百長はいけない」と騒いでいる。
誰もその矛盾に気がついていないのがおかしい。