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横綱審議委員会の馬鹿さ加減

本当に横綱審議委員会の連中は馬鹿が多い。

澤村田之助内館牧子は、夏場所で優勝した日馬富士に対して、13日目の立ち合いで変化した事を取り上げ、「横綱を目指す相撲ではない」とイチャモンをつけた。
いつもはバッシングを繰り返している朝青龍まで引き合いに出し「白鵬朝青龍は立ち合いに変わったりしない」と、立ち合いで変化するのは相撲取りとしての品格に悖るとの意見らしい。
「例え次の場所で優勝しても相撲の内容が問題になる」と、さっそく釘をさしている。

日本人力士の不甲斐なさから、最近目立つのはすべて外国人ばかりなので、「相撲は国技」と力みかえる横審連中にははなはだ面白くはないのだろうが、外国人の方が強い以上番付で差がつくのはやむを得ない。
どうしても外国人が嫌いなら、相撲取りに「日本国籍を有するものだけ」と資格制限をすればいい。
ただしその場合、日本人の力士志望者は少ないし、例えいてもさして強いわけではないので、相撲人気がさらに凋落するのは間違いない。
「相撲は日本の国技」と騒ぎたてる割には、日本人の若者にはチョンマゲ、褌との恰好の前時代性が受けなくなっている事に気が付くべきだろう。

それにしても、立ち合いで変わってはいけないとは、これまた何ともくだらない意見だ。
もしも彼らのように、「立ち合いに変化するのは潔くない」と騒ぐのなら、相撲の禁じ手に「立ち合いの変化」を付け加えればいい。
大体、土俵で命がけの勝負を繰り返しているのは、相撲取りそのものだ。
それを、全く別の世界では功成り名を遂げたのかもしれないが所詮は相撲の素人が、「品格」を理由に資格まで云々するのは明らかに越権行為だろう。

内館牧子に至っては、自分の好き嫌いで相撲取りを差別しているとしか見えない。
白馬富士の立ち合いの変化が、横綱にふさわしくないのなら、技で勝負する力士は相撲取りになれない。
そういえば、その昔朝青龍がケタグリで勝った時に「横綱の足技は品がない」とも言っていたはずだが、贔屓の白鵬が白馬富士に足を飛ばしても、何のお咎めもない。

相撲取りである以上、誰もが横綱を目指す。
そのチャンスがあれば、目先の一勝を大事にする気持ちは当たり前で、これを「たった一勝へのこだわりで自分の相撲を捨てた」と見るのは外野席の無責任な言い掛かりだ。

横審には、横綱双葉山のように常に胸を出して立ち合い、日本人的な「黙して語らず」に相撲道を追求すべきと、まるでステレオタイプの委員が多いようだ。
こんな意見こそドメスチック時代遅れの典型であり、こんな馬鹿な連中を「ご意見番」として仰ぎ見なければならない相撲は、今後更に廃れていくだろう。