昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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野村監督の名言、迷言、詭弁。

初めてのクライマックスシリーズ進出を目指し快進撃中の、楽天野村克也監督。
今シーズン限りでクビが決定しているが、老いて益々お盛んのご様子。
一時ヘバリかけていたチームも、最近マタマタ盛り返し、結構いい試合を展開している。

この野村監督、毀誉褒貶が激しいが、弱小球団でもそれなりの成績を残したり、お払い箱になったポンコツ選手を再生したり、管理職の見本みたいな人気がある。
また沢山の著作があり、それなりに売れているとの事。
試合後の記者会見でも、軽妙洒脱な表現で人気がある。
野球界にあっては、珍しく知性を感じさせる人物だ。

ところでこの野村監督には、「勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし」との名言がある。
言いたい事は、「マグレで勝つことはあるが、負ける場合は必然的な理由がある」と、いささか禅問答みたいなものだ。
何となく奥の深い言葉にも聞こえ、野村監督の名声を更に高めている。

しかし、よくよく考えるとこれはおかしい。
野村監督の生業である野球の場合、勝ちと負けは必ず同数発生する。
片っ方が必然なら、もう一方も必然のはず。
勝つ方に偶然のマグレがあるなら、負ける方にも偶然がある。
野村監督には、変形バージョンの「勝ちから学ぶ事はないが、負けからは多くの事が学べる」とのありがたい仰せもある。

どうも混沌とした世の中の処世訓としては、負けを必要以上に大げさに騒ぎ立てる方が、物事を深く考えていると錯覚される事が計算づくのようだ。
確かに、楽観論には軽薄な感じが付きまとう。
その為、楽観的な発言よりも悲観論の方が一見すると重々しく感じられる。
野村監督の「名言」はまさにこの点を強調する事で、単なる野球の指南書ではなく経営論としても通用するものとして知れ渡った。
多くの経営者や管理者は、自己否定の意見を重宝がる傾向がある。
だから「負けから学べ!」との野村の教えには、「その通り!」と賛同してしまう。

しかし、これは詭弁の論理だ。
勝ちも負けも一緒、いずれにも必然と偶然が存在する。
一寸先が分からないこそ、真剣勝負は人を引き付ける。

野村監督の御説は漫画のような面白さと奇抜さはあるが、哲学としては出来が悪い。