昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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英語で冷や汗

何度か海外に出かけ、何度も会議や商談に出席した。
海外で会議や商談の場合、最初に双方のメンバー紹介がある。
各々のグループのトップが、自方のメンバーを紹介するのが通例。
例えば、「Mr.○○は入社以来、一貫して技術開発の仕事に従事してきた」(もちろん英語で)と紹介する。
紹介された側は、軽く「Thank you, Mr. ××」と紹介してくれた人にお礼を言った後、「Yes, I’m…」と、自分の経歴を説明する。(もちろんこちらも英語で)
相手は、どんなくだらない事へも大げさに驚いたり賞賛したりする。
これが、一般的なスタート風景だ。

かなり場数を踏んだので、今なら、当方も軽く英語で自己紹介ぐらいは出来る。
しかし当初は、全く出来なかった。
折角トップが当方の出番を用意してくれても、強いて出来る事といえば、作り笑いで場をごまかす程度で、後はひたすら黙り込む。
トップも、いくら待っても当方が何も話しそうにない事に気づき、さすがに次の人の紹介に移る。
当方、やっと重苦しい雰囲気から解放される。

あるいは海外の会社訪問の場合、まず代表者がショートスピーチで訪問目的を紹介し、それからお互いの会社のプレゼンテーションをする。
ドイツの顧客を訪問した時、案内の人がわざわざ当方にその役目を振ってくれたが、例によってダンマリを決め込み、座が一気にしらけてしまった。

こんな事を数回繰り返していた。
全く赤面、汗顔の至りで、その場面を思い出すだけでも恥ずかしい。
だから海外出張なんてちっとも嬉しくなかった。
海外でも、英語を使う確率が低い、例えば中国なんかは、最初から通訳がいるので気が楽だが、アメリカやヨーロッパは、こちらが英語を喋れるのを前提に会議を運営するので気が重い。
ドンドン早口で会議が進行するとまるで何を言っているのか分からなくなってしまい、途中で他の事なんか考え始めるから、いよいよ理解不能の事態になる。
分かった数少ない単語を繋ぎ合わせて、何とか内容を想像するのが常で、想像力はたくましくなるが、会議が終わる事にはすっかり疲れ果ててしまう。

英会話が出来ると、世間が広がる。
海外の友人もできるし、第一入手できる情報量が格段に違ってくる。
何故もっと若い頃に、英語の重要性に気がつかなかったのか?!
老人になって、慌てて英語の勉強を始めた当方、連日大いに反省している。
それでも夢はでっかい。
いつかは外国人相手に流暢な英語でコミュニケーションしたい。
そう思って、毎日コツコツのラジオ英語会話を聞いている。