昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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子育ての思い出

子育ては楽だったわけではない。
「這えば立て、立てば歩めの親心」と言うが、食が細い、成長が遅い、成長した後は学校の成績が振るわない。
それぞれに大変だった。
今となっては「本が書けるほど大変だった」と笑っているが、当時は結構深刻だった。
ただ親父としては、心配はしたけど、苦労をしたとはとても言えない。
仕事に託けて、子育てはすべて妻に任せきってきた。
だから、本当に子育てで悩んだのは、母親の方だ。

僕は、その事を充分自覚していた。
二人の息子が社会人になった時、彼らに手紙を書いた。
「絶対にお母さんを悲しませてはいけない。お母さんこそ君が今まで成長できた一番の恩人であり、一番苦労した人であり、一番の理解者だから」と注意した。
どこまで分かってくれたのか確認した事はないが、彼らは何でも母親に相談しているようだから、少しは効果があったのかもしれない。
僕は、親父の役目とは、息子から恐れられ、息子の憎悪の対象になり、息子に乗り越えられ、最後は息子に同情されるものと割り切ってきた。
だから、息子に媚を売った事はない。
彼らにとっては、ある意味、煙たい存在だったろうし、好かれてきたとの自覚もない。

長男が苦労に苦労を重ねてやっと就職が決まった後、小旅行を思い立ち、我々両親の実家に遊びに行った。
その時、「小さい時のアルバムを見ると、両親がとても可愛いがってくれたのかが分かりました」
そして、
「近所の有名な天満宮に感謝の思いで、親父の誕生日の金額のお賽銭を上げてきました」
と、言ったらしい。
そんな気の利いた事を言う奴ではなかった。
親父としては、反発されこそすれ、感謝されるなんて思ってもいなかった。
不覚にも、目頭が熱くなった。
妻に話したら、「私の分は?」と不満気だった。
「君は僕より誕生月が遅い。その分お賽銭の金額が張るからじゃないか」と訳の分からない言い訳をしたら「それもそうね」と、アッサリ納得したのは驚いたが。
そう言えば高校の修学旅行で京都に行った時、500円の宇治平等院のテレフォンカードをお土産に買ってきた。
初めて息子から貰った土産だったので、今でも定期券入れの中に未使用状態で保管されている。

子供は、いつの間にか間違いなく成長している。
いつまでも昔の印象が消えず、子供のままとしか思わないのは、親の勝手な見方だ。