昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

老後の過し方

実は今日からブログ歴六年目に突入する。
記事は具にもつかない物ばかりだが、既に1370以上をアップしている。
我ながら、よく続いたものだ。
とっくにネタ切れ状態に陥っているが、それでも必死に文章を認める努力でボケを先延ばしできたのではと、自分に都合良く理解をしている。

僕の父親は、家が貧しく中学にも行けず、丁稚奉公に出されたらしい。
しかしその割には、太平洋戦争の時に警察官試験に合格、台湾に赴任するなど、勉強は大好きだったようだ。
終戦後に引き上げてはきたものの職がなく、今度は民間会社で定年まで勤め上げたが、学歴がない事が祟り最後まで平社員だった。
それでも全くの独学で、当時でも大難関だった司法書士の試験に合格、更に不動産鑑定士行政書士の資格も取り、定年後は個人で事務所を経営していた。
儲かった話しかしなかったが、細々とながらも金を稼いでいたようで、僕を大学にまで行かせてくれた。
晩年は母親共々、長男夫婦の家で相撲とプロレスを楽しみに、幸せに暮らした。

義父もまた、両親が早逝した為落魄の身となり旧制中学を中退せざるを得ず、地方公務員となったらしい。
世渡りはお世辞に上手くはなかったものの、資格試験には合格を繰り返し、ある役所の長にまで上り詰めた。
その仕事振りは、晩年に勲章まで貰うほど認められたのだが、役所の息苦しさや人間関係がホトホト嫌になったようで、定年を前に恩給がついた時点でサッサと辞めてしまった。
後は悠々自適、若い頃に憧れた絵描き、彫刻家の真似事をして暮らした。
素人にしては素晴らしい作品を残したが、その全てが有名作品の模倣で、オリジナリティはほとんど発揮される事がなかった。
世に言う大御所芸術家も、最初は模倣から始まるものらしいから、義父ももっと時間さえあれば芸術作品を生み出す域にまで達したかもしれない。

僕の父親は二人とも、決して恵まれた学歴ではなかったものの、精一杯の努力をして家族を支えたのであり、僕は大いに尊敬し、且つ密かに自慢している。
翻って我が身を考えると、既に還暦を過ぎたが、未だに現役のサラリーマンを続けている。
働かないと生活が苦しいからが最大の理由だが、一方では仕事以外に時間を潰す術を知らないのも大きい。

父親二人に比べ、試験で認定された資格を有するわけでもなく、ただひたすら舌先三寸の会社生活だった。
よって今の仕事か、その周辺にしがみつく事しか能がない。
自力で活路を切り開いた父親達に比べ真に情けない不出来息子だが、幸い縁あって働き場所に恵まれた所為か、父親達程は苦労しなくても何とか生活できる程度の稼ぎは確保している。

今の仕事は、いつまで続けられるのかは分からない。
しかし、仕事の種類や質には文句を言わず、何でも良いから体が続く限り働き続けたいと思っている。