昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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スーチャンのダイイングメッセージ

キャンディーズのスーチャンの葬儀の模様が、テレビに映し出される。
ハイライトは、出棺直前の肉声の放送だろう。
弱々しい声ながら、東北地方で被災した人達へのお見舞いや、キャンデーズ仲間への感謝、自分がもっと女優を続けたかった思いが綴られ、涙、涙の葬式だったようだ。

僕は、旦那がカチンコまで持ち込み、「スタート」「はい、カット!」と、まるで「妻は素晴らしい女優でした!」的な演出は決して好きではない。
少なくとも一般人の葬儀ではありえないし、万が一そんな見え見えのシーンに遭遇すれば、恐らくは、気恥ずかしくて下を向いてしまうだろう。
だから演出家を気取った旦那には鼻白んでしまうが、死を覚悟した人のメッセージには大いに関心がある。

実は僕も、両親を始め、何人かの身内の葬儀を経験している。
しかし、生前に死を覚悟していた人は、誰もいなかった。
全員が、死の直前まで自分は生きると思っていたし、そのまま意識を失い死に至った人達だった。
その為、死を覚悟して、ちょっと気の利いた事を話したり、書き物で残した人を知らない。
無論、生前に遺書を残した人はいるが、それは意識も体も健全な時に、自分の死後をイメージしたものなので、「自分が生きている」意識の裏返しでしかない。

スーチャンは、「自分は病気に負けるかもしれない」と話していたが、内容は間違いなく死を覚悟した人のメッセージだった。
本当は、意識の中に死への恐れや、現世への未練が満ち溢れていたのかもしれないが、語る言葉は訥々と、且つ淡々としている。
さぞや苦しかっただろうが、その中でも感謝の思いを連ねるとは、自分を見ている不特定多数の人を充分に意識したプロ根性だろう。
流石に女優だけあって、またもっと演じたかったとコメントしているように、将に最後の最後まで演技を続けている。

僕自身、果たして死を覚悟出来るだろうかと思う。
人一倍怖がりで、人一倍煩悩の塊なので、例え死を免れない事態になったとしても、「自分が死ぬはずがない」と、まるで根拠のない願望に縋るような気がする。
また、病気を理由に、周囲に対して我儘放題になってしまう恐れも強い。
傍迷惑な末期になると思うが、それもまた自分らしいと、そう勝手に解釈していた。
そして、それがやってくるのは、決して遥か彼方の出来事ではない。

スーチャンのダイイングメッセージを聞いて、自分でも心の準備しておこうと思ってしまった。
最後まで嫌われ者なのは、やはり少しは寂しいものだ。