昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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年をとると病気の治りが悪くてねェ

義母の病気治療が長引いている。
彼女は、夫が亡くなって以降の七年間を、たった一人で矍鑠として生活、94歳になっていた。

些か耳が遠い程度の問題はあったものの、連日、新聞も隅から隅まで読破するほど頭脳明晰。
体も良く動き、呆けの要素も皆無だったのだが、ある日突然に腰痛に見舞われ、動くに動けなくなり、病院に担ぎ込まれた。
当初は、「このまま死んでしまうのでは」とすっかり弱気になり、何か事あるごとに涙ぐんだり、不安がったりしていた。

この時の診断では「要介護4レベル」で、ほとんど身動きが取れない患者として、入院しながら治療をする事になった。
しかし、同病相哀れむはずの病室の中では、最年長にも拘らず一番元気。
何よりも、「直りたい」との意欲があり、辛いはずのリハビリも、むしろ日常生活のアクセントと心待ちにして、誰よりも積極的に参加する。
その結果、半年後の診断見直しでは、何と「要支援レベル」にアップしてしまった。

普通なら、これほど大幅な見直しはあり得ない。
大変おめでたい事なのだが、患者とその家族にとってはそれまでの病院を退院しなければならなくなる。
しかも皮肉な事に、退院が決まった後になって、「息が出来ない」とか、「歩くと痛い」とか、体調が極めて悪い。
退院を嫌がって、駄々を捏ねていると誤解されてしまう。

そんな状態なので一人暮らしは到底無理、八方手を尽くした結果、取敢えず別の病院に入院する事が出来た。
転院してすぐに体調不良を訴え、診断して貰うと、今度は肺に水が溜っているとか、心臓が極端に弱っているとか、前の病院では全く注意もされなかった問題点が発覚。
「手遅れ寸前」と、突如として絶対安静命令が下る。
しかも、体中に管を通され、ベッドに縛り付けられる事態となった。
前の病院では、体調こそ思うに任せないものの、確実に直りかけていると聞かされていたので、義母はさすがに大ショックだったようだ。

しかしこれも考え方で、むしろ病院を変わってそれまでの体調不良の原因が判明し、早期に治療した事が大正解だった。
今や、酸素吸入力もほとんど元の状態に戻り、体中にまとわりついていた管も、烏天狗のような呼吸器具も取り外すまでに回復している。
最初の病院を追い出された時は、一瞬途方にくれたが、結果的にはまさに塞翁が馬となった。

義母も、先行き不安だった頃は、病院の食事がまずいとか、息子は見舞いに来てもすぐに帰るとか、遠くに住む娘(すなわち我が妻)に逢いたいと、現状への不満と年寄りの我儘が炸裂していたが、体調が戻るに従いすっかり理性を取り戻し、冷静な判断が出来るようになっている。

流石に加齢によってさまざまに故障箇所が発生しているが、それでも義母に、今の「生きたい、生きよう」の意志が続けば、多少の困難は乗り越える事が出来るだろう。
まだまだ油断は出来ないが、この分では我々家族の念願である百歳越えは達成できそうだ。
我が妻にとっては最愛の母だし、我々夫婦にとっても、唯一残った両親なので、長生きしてもらわないといけない。