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差別徹底と差別撤廃

ビジネスの世界では、差別は悪い事ではない。
英語ではdifferentiate。
「~を識別[区別]する、差別化する、~に違いを付ける」で、マーケティングの基本中の基本として、大いに差別化を促進するよう指導される。
むしろ、「他社、他製品との差別化」は目標ですらある。
同じように見える品物でも、細部に必死の工夫を重ねる事で、ライバル品との違いを際立たせ、出来ればより高い価格で。より多く販売する。
各社が、血眼になって差別化を追及している。

また顧客に対しても、取引内容によってその扱いに差をつける。
これもビジネスでは当たり前だ。
飛行機に乗ると、快適さや優越感がカネで買える事を実感する。
大雑把に言えば、国際線ではエコノミークラスの二倍の価格がビジネスクラス、その二倍がファーストクラスとなっている。
そして飛行機会社のサービスは、そのクラスによって見事なくらい、あるいは「ヤリ過ぎだろう」と思う程違いがある。
食事の時には、他のクラスがどんな食事をしているのかを分からなくする為に、間をカーテンで仕切られる。
確かに食事に関しては、クラス別の差別は凄い。
食事だけでなく、アルコールも差がつけられている。
今まで数回しかファーストクラスを利用した事はないが、その時には「森伊蔵」が飲み放題だったり、ワインリストも豪華絢爛だった。
うどんもラーメンも、「うどんでスカイ」や「ラーメンでスカイ」のようなインスタントではない。
丼も陶器だし、焼豚も本格派。
一休みに毛布を所望すると、羽根布団が用意される。
わずか10人程のゲストにスチュワーデスが三人、トイレは二つ。
まさに至れり尽くせりのサービスで、「差別は怪しからん」なんて一般論など、どこ吹く風状態だ。

差を差として認めるのがビジネスであり、その為に「セグメンテーション」と称して、対象範囲を分類し、重点先とか、撤退分野とか、経営資源投入にも差をつける。
役に立つか否か、利益をもたらすか否かで差別するのは、当たり前に正義だ。
努力の結果、成果に差が出るのは当たり前で、これを評価しない限り人間の進歩も消えてしまう。
民主党の大臣にまで上り詰めたアホ政治家が、「何故一番じゃないと駄目なのか、二番ではだめなのか?」と、歴史的な頓珍漢発言で失笑を買ったが、誰もが一番の勝ち組を目指して必死に努力しているもので、「差別は駄目」と、結果に差が出ないように配慮するなんて、悪平等も良い所だ。

今、差別撤廃が必要なのは、将に差別する謂れも根拠もないのに、ただ自分の都合だけで他人に苦痛を押し付ける行為だ。
悲しい事に、人間は地縁、血縁や、些細な共通項を探し出して閥を作る。
そして自分のグループの利益を守る為に、他のグループと諍いを起こす。
自分達の正当性を主張する為に、差がないにも拘らず、無理して差をつけ、差別しようとする。
組織的な行動では、人間は何ら合理的な根拠がなくても、自分達の立場を守ろうとする為に差別に至る。
現在では、こんな差別が許されるはずがなく、万一にでもそのような素振りがあれば、厳しい社会的制裁を受ける。

ビジネスでは競争による差別化を徹底し、私生活では謂れのない差別を撤廃する。
同じ様な言葉だが、目指すべき世界はまるで違っている。