昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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203高地、東鶏冠山観光

大連まで来たら、旅順観光は必須だ。
三日目は、朝から観光地巡りと決め込んだ。
9時にホテルを出発、車で小一時間(と説明された)203高地を目指す。
道路はきれいに整備され、案内役の顧客社長は、「久しぶりに来たが、途中の景色がすっかり変わっている」と驚いていた。
中国人ドライバーは、「中国の変化が早すぎるので、自分も道路が分からなくなる」とこぼしていたが、その言葉通り、東鶏冠山への入り口を間違えて右往左往してしまった。

やっと辿り着いた目的地には、中国人観光客が大挙して訪れている。
日露戦争なんて、中国は場所を利用されただけで、何一つメリットなんかなかったはずだ。
中国人のガイド兼ドライバーに「そんな観光地に、何故中国人が押し寄せるのか」と質問すると、「金持ちになった中国人は、どこでも良いから名所旧跡に行きたいものだ」と説明された。
ここには、ロシアが作った塹壕の跡がある。
この塹壕の存在を知らなかった日本軍は、無駄な突撃を繰り返し、その度にロシアに狙い撃ちをされ、大量の戦死者を出してしまったらしい。
あのロシアがここまで戦略的な準備をしていたのかと感心したが、この塹壕を実際に作ったのは中国人苦力たちだったらしいから、やはり中国にとっては、ロシアも日本も単なる侵略者にしか見えない。

そんな感傷に浸っていたら、土産物売り場の婆さんたちが流暢な日本語で話しかけてくる。
「キーホルダーがある、ガイドブックは、名物の棗で試食するのは只ヨ」とうるさい。
全部お断りで通したが、聞けば日本人観光客が激減しているので、久しぶりのカモを見つけて必要以上に気合が入ったらしい。

続いて203高地へ。
この日の大連は、またしても霧に咽んでいる。
203高地は、途中までは車で上るが、駐車場から先は歩くか、一人100元のバスを利用するかになる。
ここでも久しぶりの日本人カモを発見した中国人が、駆け寄ってくる。
「バスが安いヨ」としつこく誘われるが、日本人英霊に感謝の祈りを捧げる積りの我々は、断固として「歩く!」ことを選択。
と言うとカッコ良いが、実は「一人100元は高い」のが本音。

203高地は、思った以上の急勾配で、頂上まで行くのに結構息が切れる。
こんな所を、重い武器を携えて突撃した我が日本人兵士のことが頭に過り、柄にもなく殊勝な思いに駆られる。
やっと辿り着いた頂上には、乃木希典命名した「弐霊山」の塔が立っている。
武将としての評価は極めて低い乃木希典だが、日本では息子がここで戦死した悲劇の名将として有名だ。
しかしこの石碑には、「日本侵略の証拠として、恥の柱」と、日本語の説明が施されていた。
この日は霧で、残念ながら天然の要塞、旅順港は全く見えない。
あそこで「杉野はいずこ?」の大激戦があったのだと、遥か昔の歴史を思い出していると、またしても中国人のセールスレディが登場。
こっちは、東鶏冠山に比べると若くて別嬪さんだったが、その分しつこさも強烈で、何としても土産物を売りつけようとする。
しかし日ごろ、中国の不埒さに怒っている当方、美人のオネーチャンに何と言われてもNo!を貫いた。
中国共産党の皆さんに、こんなところにも尖閣列島問題が尾を引いているのだと教えてやりたいものだ。

残念ながら霧の所為で、天然の要塞、旅順港の全貌が見えない。
これじゃ長居は無用と、市街地にある星海公園に戻る。
ここには平日なのに、大量の家族連れや恋人同士の中国人が徘徊している。
周りには如何にも高価そうなマンションが立ち並んでいる。
ここは大連きっての高級住宅地で、超金持ちしか住んでいないらしい。
昼食は日本料理定食屋でカツカレー定食を頼んだが、これが50元と高い。
実際は、カレーだけでなく冷ソーメン、茶碗蒸し、サラダ、味噌汁、香の物が、トレイ一杯に乗ってきて、とても食べきれない。
半分近くが残ってしまった。
腹ごなしのためにもと、初日に行ったマッサージ店へ。
ここで全身マッサージをしたが、初日と違って今回の小姐はタッチが優しく、却って物足りなさを感じてしまった。

夕食は、最近地元でも大評判の海鮮料理。
一階で魚や貝を選び、それを料理してもらうシステムで、最近の中国人も、家庭での催しモノはこのような店に出かけてくるらしいので大混雑だった。
ところが昼飯が腹に残っていたので、さっぱり食が進まない。
早々に引き上げ、最後は三日連続でカラオケで〆る。
この三日間とも、カラオケの相方は、最初の日に指名した、顔もスタイルも平凡小姐。
中国人ガイドが、「最後の夜だから、是非ともお持ち帰りを」と熱心に勧めるが、「No, but thank you」と、最後まで紳士として振舞う。

しかしこの紳士、カラオケでは妙な振りをつけて「涙をふいて」を熱唱した。
その場にいた全員が立ち上がり、「アァ、拭いて、拭いて、拭いて」と一緒に踊り出し、ヤンヤの大喝采を浴びたが、その分店全体が一気に下品ムード満載になった。
「この振り付けは、絶対に中国人に受ける」と太鼓判を押されたので、今頃は大連中のカラオケ屋で、「アァ、拭いて、拭いて、拭いて」が歌われているかもしれない。