昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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命尽きるまで

後任が決まった時には、潔く仕事を卒業する積りだった。
もう思い残すことはない。
年も年だしここらが年貢の納め時、後はいつか来るお迎えの日まで、何とか生計を立てられれば結構。
40年以上の会社員生活に別れを告げるタイミングだと、そう思った。

一兵卒から叩き上げ、様々な経緯があり、今の会社に落ち着いた。
大袈裟だが、見えざる力に動かされ、ただひたすら必死に足掻きながら流れ着いたのが今の職場だった。
そんな職場だが、会社員である以上いつかは後任が決まるし、担当から離れなければならない。
自分の役割は果たしたと思うし、後は後任が上手く事業の舵取りをするだろう。
また、そうなることを願っているので、無念さなどない。
燃え尽きたと言うほどカッコ良くないが、全力で走ってきたとの自負はある。
だから、仕事に関する憂いは全くないが、リタイヤした後の生活がイメージできない。

寒い早朝に起き出す必要も、暑い夏に満員電車に揺られる必要もない。
何よりも、ややこしい事業への関わりから開放される。
予算達成の心配もなければ、顧客との価格交渉もなくなる。
職場の人間関係に、悩む事も不要になる。
今までは、勝つための努力を重ねた人生だった。
人生で、自分が負け組にならないよう、勝ち組になるように努力してきた。
より良く生きるために、より強くなるために頑張り続けた。
事業を伸ばすために、業界で生き抜くために、知恵を絞ってきた。

しかし仕事を辞めれば、ビジネスの敵もいないし、戦いもない。
「常在戦場」だった生活を送ってきた会社員には、そんな一見快適だが、全くストレスフリーな生活にすぐさま馴染める自信がない。
趣味のゴルフだって盆栽だって、仕事の合間に息抜きに遊べるから楽しいのであって、いつでもOKなら、チャレンジ精神がなくなってしまうだろう。

齢64は充分に働いたとも言えるし、老け込むには早過ぎるとも言える。
子供の頃の小学校唱歌で、「村の渡しの船頭さんは、今年60のお爺さん」と歌っていた。
「年はとってもお舟を漕ぐ時は、元気一杯櫓を漕がす」と続いていたのだから、一昔前までは60歳で働くのは、歌で称えられるほど珍しい事だった。
しかし今では、65歳定年制度が新たに法制化されているし、世の中では寿命が延び、元気な老人が増え続けている。
そんなことを考えていたら、会社の方でも諸々の事情が重なり、もう一年仕事を続けるよう依頼された。

残った人生は、さほど短くはないかもしれないが、決して長いものでもない。
就職して、結婚して、子供が出来た、定年を迎えた人間にとって、唯一残ったセレモニーは葬式だけ。
だから今からは、生き残ることよりもむしろ、いずれ誰にも必ず訪れる死を、心安らかに迎える準備が始めないといけない。
この命が尽きるまで、最大限の生き甲斐を見つけ、最大限楽しんだ人生を送る積りだった。

そんな老兵に、思いもかけなかったが、もう一頑張りの仕事が与えられた。
少し悩んだが、死の準備は、わずか一年を急ぐ話でもない。
幸い、頭の働きは鈍ってきたが、体調だけはすこぶる健康だ。
老いゆく前に、最後の一勝負をする体力と時間くらいは残っていると、そんな風に心境が変化した。
今までもそうだったし、今からもそうだが、「ケセラセラ、先の事など分からない」、楽観的なのが最大の取り柄だったはずだ。