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トルコ、ブラジルのデモ

トルコとブラジルのデモに対して、世界中(?)はともかく、多くの日本人が注目している。
両方とも、国内の選挙で圧倒的に支持されたはずの政権の政策に対して、一部の不満分子が反対の意思表示をしている構図だ。
しかし一部とは言っても、その数が百万人にも及ぶと、ただ事ではなくなる。
連日のトップニュースになるし、誰もがその行方に注目する。

トルコに関しては、2020年オリンピック誘致の最有力国で、東京の最大ライバルだったので、日本にとっては他人事ではない。
正直に言えば、トルコ・イスタンブールの公園再開発反対や、厳格なイスラム化反対とか言われても、当方には全くピンとこない。
むしろ日本人の多くは、「もっとデモが盛り上がってトルコの政情不安が高まれば、東京へのオリンピック誘致可能性が大きくなる」と、とらぬ狸の皮算用をしているのではないだろうか。
エルドアン大統領は、デモに対して強権発動で排除してしまったが、これに対する各国の報道姿勢は必ずしも好意的ではなかった。
無抵抗な市民に対して、機動隊・警察を動員し催涙弾を打ち込む警備のやり方には批判的で、抗議活動が長引くとの見方が強かった。
しかしトルコでは大統領支持のデモも組織され、こちらにも数万人が動員されている。
色々と批判されても、トルコ国内でエルドアン大統領の支持率は極めて高いのも事実だ。
トルコ国民も、「オリンピックをトルコで」と期待している方が多数なのだろう。

ブラジルの方は、来年のサッカーワールドカップ開催を前に、国を挙げて大喜びをしていると思いきや、コンフィデレーションカップ開催の直前から、全国各地で「ワールドカップ開催反対」のデモが発生している。
こちらは、「サッカー場よりも学校を」と、競技場建設に税金を投入するのではなく、貧困対策を優先するべきとの意見のようだ。
開催国が決まった数年前のブラジルは、南米でも最も好景気に沸いていた。
しかし経済が発展している国には、必ずその負の部分の格差も大きくなるので、国を挙げてビッグイベントを開催する場合、こんな見解の相違は必ず発生する。
デモが派手なだけに開催反対意見が多いように思ってしまうが、もしもそうなら、ブラジルがワールドカップ開催国に名乗り上げるなんて出来ないはずなので、やはり「ブラジルでワールドカップを」と考えている人の方が多いに違いない。
貧困にスポットライトを当てれば、あらゆる国際的なセレモニーは開催できない。
2020年のオリンピック開催にしても、東京の支持率は大幅にアップして70%と言われているが、この数字を逆に見れば30%の人は反対している事になる。
そしてその理由もやはり、「オリンピックよりも優先してやるべきことがある」と言うものだ。

そもそもオリンピックやワールドカップは、歴史的、世界的なビッグイベントだが、何が何でも開催しなければならないほどの緊急性があるものではない。
無論、開催される事そのものが世界平和の象徴だし、超エリートアスリートたちは、この大会の為に日々血の滲むような努力を重ねている。
しかしそんな天才連中は、将にごくごく一部の存在でしかない。
普通の能力しかない多数の人たちにとっては、そんなスーパーエリートは、感激、称賛、憧れや憂さ晴らしの対象なのだが、彼らがいなければ生きていけないわけではない。
経済効果が大きいとは言っても、ビッグイベント開催で国民全部が利益を蒙る事もない。
だから「国家を挙げて」なんて、全体主義国家以外にはあり得ない。
北京オリンピックや、遥か昔のベルリンオリンピックなんて、国内での反対意見はなかったかもしれないが、むしろ国外では様々な反対運動が発生していた。

ところで、猪瀬都知事を先頭に鐘や太鼓で必死の招致活動真っ只中の東京オリンピックだが、僕は30%少数派の方で、開催する大義名分が分からない。
既に過密度世界トップクラスの都市、東京で、今更大枚をはたいてスポーツ競技場や選手村を増やす必要もあるまい。
「あの感激を東京で」と、先のオリンピックでメダルを獲得した選手のポスターが多くの場所で貼り出されているが、別段どこで開催されても感激は一緒。
むしろ東京に必要なのは、渋滞の緩和とか文化施設の充実のような気がする。

個人的な好みで言えば、今度こそワールドカップ単独開催をやってみたい。
だからもしもブラジルのデモが収束しないなら、真にお節介だが、「では代って日本で開催します」と声をかけてみるのは如何だろう。
瓢箪から駒になっても、新たなサッカー場を造る必要もないし、世界的なサッカープレイヤーを間近で見る事が出来て大儲けなのだが。