昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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夫婦で海外旅行

初めて夫婦で海外に出かけたのは、1974年、結婚直後だった。
JTB勤務の親友から、「キャンセルが出たので、グアム旅行の掘り出し物がある」と連絡があり、慌ててパスポートをとった。
飛行機代、ホテル代込みで一人あたりの費用58千円は、格安旅行の走りのようなもので、航空会社は、今は亡きパンナム
会社のマークが入ったバッグは、当時はちょっとしたステータスだったが、機材は全くボロ飛行機で、羽田離陸直前にエンジンが突然止まり、不安な思いに駆られた。
また、パスポートが入ったバッグを機内に預けてしまうチョンボを仕出かしたり、ど素人の不慣れな海外初経験だった。
無論、英語はまるで駄目だったが、添乗員付きで、日本人観光客が多いグアムだったので、言葉の不自由はなかった。
今にして思えば、この時に英会話の重要性を認識していれば、その後の人生が変わったかもしれない。

その後は、子供ができ、育児に忙しかったし、分不相応に家を買ったり、更には買い替えたりと、何かと物入りで、海外旅行など思いもよらない仕事と生活に追われ続けた時期が長かった。
やっと生活に余裕が出来たのが、21世紀を迎えた頃だった。
会社に25年勤務すると、20万円の資金援助が出ると言うので、最初のグアム旅行から16年も経過していたが、夫婦でインドネシア旅行を思い立ったのは2000年春。
これも団体格安旅行だったが、参加者が我々夫婦だけなので、結果として現地専属ガイド付き、連日ホテルを変えて、インドネシアを横断。
バリ、プランパナン、ボロブドゥールの名所旧跡を見て回った。

続く翌年、おもてなし度世界一ホテルに認定されていたオリエンタルホテル宿泊を目的に、タイに出かけた。
この時は、予定が全て事前に決められている団体旅行を避け、往復飛行機便とホテル以外は全部フリー。
夫婦で名門タイカントリークラブクラブ、アルパインゴルフでプレイしたのもこの時。
帰路は、当時のドンムアン空港までホテルのリムジンサービスを利用したが、さすがにオリエンタルホテルだけあって、空港にもホテル制服着用の荷物運搬係員が待機している。
空港に近づくと、運転手に「First or business?」と聞かれて参った。
オリエンタルホテルに泊まり、リムジンサービスを利用しながら、飛行機はエコノミークラスに搭乗する客は珍しかったようだ。
またこの時は、二人で25千バーツのホテル主催の年末ガラパーティーにも参加した。
タイ中のセレブが集まる格調高い年末パーティーで、我々夫婦のファッションは明らかに場違いだったが、かけた元を取り返すために年末カウントダウンまで居残った。

オリエンタルホテルのホスピタリティに感激し、翌年もまたタイに出かけた。
但しこの時は、高価なガラパーティを避け、年末はシンガポールラッフルズホテルに移動。
タイ式とは打って変わって、基本的に部屋の鍵を渡した後はほったらかしだが、これはこれで味がある。
ここでも猛暑の中で、夫婦で名門セントーサゴルフクラブでのゴルフプレイを楽しんだ、
但しシンガポールには、観光地などほとんどない。
有名なガッカリ観光ポイント、マーライオン訪問の後は、ショッピング以外には時間のつぶしようがない国だ。
町の土産屋で気に入った人形があったが、売値が4万円。
「高いナ、半値だったら買うけど」と冷やかしたら、瞬時に「アンタが気に入った、今日は正月だからそれでOK」と即答され、結局買わされてしまった。
後で、「アジアでは十分の一くらいの値段から値切らないといけない」と教えられたが、後の祭りだった。

振り返れば、グアムには何の準備もなく出かけた。
しかしそこから2000年のインドネシア旅行までは、嫁さんにとっては雌伏の期間で、しっかり勉強をしていたようだ。
これ以降は、夫婦での海外旅行が毎年の定番となっている。