昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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数学のお勉強

社会人になって以降、学校時代の数学の知識が役立った記憶が少ない。

歴史や文学の勉強は、間違いなく社会常識を培うのに役立った。
物理や化学の勉強も、地球の成り立ちや、より良い生活を送る為には役立った。
英語は、外国人とのコミュニケーションに不可欠なだけでなく、情報収集の為にも必須の能力だと思い至っている。

しかし数学だけは、良く分からない。
無論、足し算、引き算、割り算、掛け算は、日常生活には欠かせない。
しかしそんな能力は、小学校の低学年時代に身に着けている。
高校時代の三角関数だの、微分積分だのは、少なくとも学校卒業後に利用した経験はない。
社会人になって久しいが、円錐の体積を求める必要など皆無だったし、円の面積すら計算する必要はなかった。

出来の悪い後輩を、「あいつは分数の割り算が出来ないどころか、分数の引き算すら危うい」と揶揄していた。
しかしよくよく考えれば、自分だって分数の割り算に関しては、答えの出し方は知っていても、その意味は分かっていない。
今まで学んできた数学は、学問としてではなく、計算テクニックを身に着けたものでしかない。
だから、二分の一を三分の一で割る事は、世の中では具体的にどんな場面なのかがイメージできない。
そんな風に、まるで本質を理解できなくても、実際は何の齟齬もなく生きてきた。
数学なんて、不要な学問ではないだろうか。

数学で苦労した人間は、ついついそんな事を考えるが、因数分解の考え方は、社会生活で大いに役立っていると確信している。
あの共通項をまとめていく計算方法だ。
世の中の発生する様々な現象を、共通項でくくって整理すると、残った部分だけを解析すればよくなるので、大変分かり易いし、関係者や第三者への説明も楽になる。
研修会で駆使するKJ法も、因数分解の亜流とも考えられる。

自分でも知らないうちに、数学で学んだ方法で思考している。
これが小学校から高校まで、嫌々ながらも数学を勉強した成果なのだろう。