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審判の誤審

アメリカンフットボールのファンになって、既に40年近い年月が過ぎた。
最近は大注目され人気も沸騰しているスポーツだが、当時はほとんど注目されていなかった。
先物食いとしてのセンスの良さと、ゴルフと同じくらい年季が入っているファン歴の長さが、実は秘かな自慢だ。

長い観戦歴の中でも、1989年、第23回スーパーボールは忘れ難い。
ベンガルズ対49ersの闘いで、勝利目前のベンガルズが最後の残り1分弱で、49ersのQBジョー・モンタナに逆転劇を演出された試合だ。
当時からベンガルズを応援していた僕は、最後の逆転タッチダウンシーンで、思わず大声を出してしまった。
この試合は今に至るも、スーパーボール史上最高の逆転劇として伝説になっている。
その後15年以上たってアメリカに出張したある時、熱烈な49ersファンのアメリカ人と話す機会があった。
喜色満面でモンタナを称えるこの49ersファンに対して、僕は「しかし、59分間は我々ベンガルズがチャンピオンだった」と強がりを言った。

今年もまた、49回スーパーボールに向かって、大熱戦が繰り返されている。
我がベンガルズは、プレイオフには進むが、毎年初戦で敗退。
そしてそのジンクスを今年も破れず、哀れにも5年連続プレイオフ初戦敗退のNFLワースト記録を作ってしまった。
自称、「目の肥えたベンガルズファン」としては、QBのアンディ・ドルトンがいる限り、来年もまた駄目だろうと、すっかり諦め気分だ。

贔屓チームが負けてしまったので、次善の策として仕方なく応援したのがダラス・カウボーイズだが、これもまた初戦こそ突破したが、ディビジョナル・プレイオフで、パッカーズに敗退した。
そしてこの試合は、審判の判断が直接勝敗を決めてしまうことになった。
逆転のタッチダウンパスか、悪くてもゴール前1ヤードでボールデッドと思われたが、結果は何とパス不成功。
攻守が入れ替わったのだから、この差は大きい。
勝ったチームは、審判の判定に頬かむりをしているが、負けたチームファンとしては腹の虫がおさまらない。
特に当事者のレシーバー、デズ・ブライアントは、判定に不満タラタラらしい。
それはそうだろう。
パス成功なら英雄になったし、不成功なら敗戦の責任者の一人になってしまう。

しかし驚くのは、大事な試合に負けたのに、カウボーイズがチームとしては、この判定に粛々と従う事だ。
元々アメリカンフットボールの場合、反則の基準が実にいい加減なのだ。
技術的には世界最高峰で、他の追随を全く許さないレベルのNFLでも然り。
極論すると、プレイヤーは全員が反則をしている。
そして、その反則を取るか取らないかは、審判の気分次第。
審判が勝敗を決めてしまう試合が絶えないのは、アメリカンフットボールの宿命なのだ。
分かり易い例では、ファーストダウンを取れたかどうかが微妙な時は、チェーンクルーで測定して最終判断する。
いかにも厳格な測定に見えるが、肝心のボールの位置は、審判が実に無造作に置いた場所になる。

生身の審判が、人間臭く判定しているので、ミスもあれば勘違いもある。
それを全部飲み込んで、プレイヤーも含めて関係者全員が、審判へのリスペクトを欠かさない。
このような関係の上で、アメリカンフットボールゲームは成立している。
負けたチームの責任者が「自分はそうは思わないが、審判がそう言うなら仕方がない」とコメントするのは、アメリカンフットボールでは実にありふれた風景だ。
だから審判への不満を態度で表すと、「アンスポーツマンライクコンダクト」の重大な反則を取られてしまう。

実はカウボーイズは、プレイオフ初戦では、バラク・オバマ大統領が判定に疑問を呈するような微妙な判定のお蔭で勝っている。
長い目で見れば、誤審のプラスマイナスはチャラとの割り切りがある。
この辺が、如何にも大雑把なアメリカ人気質であり、だからこそアメリカンフットボールアメリカで一番人気があるスポーツなのだろう。