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後藤健二氏が殺害された

イスラム国は、湯川遥菜氏に続いて、後藤健二氏殺害を発表した。
想定されていた最悪ケースだが、最も予想されていた結果でもある。

一時期イスラム国側から、ヨルダンに抑留中のイスラム国の死刑囚との交換条件が出された時には、日本国内に「これで後藤さんが解放される」みたいな楽観論が広がった。
その時のテレビ番組で、コメンテーターの大谷昭宏は喜色満面だった。
しかしヨルダンにとっては、自国民を殺したテロリストと、日本人捕虜との交換を受諾できるはずがない。
結局はヨルダンが、先ず優先して解放を要求した自国パイロットの生存確認が出来ないまま、時間切れになったと解釈せざるを得ない。

イスラム国が、冷酷非道な組織である事は間違いない。
このような組織が、アメリカや西欧諸国の脅威になっている事も、また事実だろう。
そしてこのイスラム国は、「話せば分かる」ような、軟な存在ではない。
彼らなりに解釈したイスラム教で理論武装し、その教義に基づいた国家を目指している戦闘集団だ。
周囲を全て敵に囲まれている状況の中で、その全ての敵を打倒しなければ、彼らの理想国家造りは進まない。
そんな常時臨戦状態のイスラム国には、敵か味方かの二種類しか存在せず、中立は敵と同じく見做される。

場合によっては、戦争の状況を世界に発信するジャーナリストは中立的存在とされた事もあるが、それは自分たちに都合の良いジャーナリストに限定されている。
ベトナム戦争で、北ベトナムに潜入ルポしたジャーナリストたちの姿勢は、全て反米だった。
だからこそ北ベトナムで取材できたのであり、逆だったらスパイとした逮捕され、処刑されたはずだ。

後藤健二氏の取材は、戦争がもたらす悲惨さを世界に発信するもので、それは我々日本人には大いに意味があるが、取材対象で戦争の真っ只中にあるイスラム国にとっては、何一つプラスになるモノではない。
そんなジャーナリストが、ノコノコと出かけてくれば、当然ながら逮捕して人質としての利用価値を図る事になってしまう。
湯川遥菜氏も後藤健二氏も、イスラム国にとっては「飛んで火にいる夏の虫」だった。

彼らが逮捕されている事を知らされた後は、日本中が「人命最優先」の大合唱となった。
僕は、あらゆるマスコミが全く同じトーンで、「人命最優先で人質を救え」と報道する事に、違和感を持った。
人の命の価値は、国によって、場所によって異なっているのが実態だ。
しかもイスラム国が、人命などに配慮しているとは到底思えない。
自らの主義主張を通す為には、嬉々として自爆テロを実行する。
そんな考え方を、全く異常と思わない。
彼らにとっての人質は彼らの要求を通すための道具であり、いくら稼ぐことが出来るか、あるいはどのような取引が可能かだけが利用価値だ。

今回の事件は、そのようなイスラム国で起きた。
そんな彼らに、「人命最優先」を訴えても、何一つ解決の糸口にはならない。
一時期、「イスラム国は、マスコミを注目している。日本だけでなく、世界中が後藤健二さん救出を願っている事が伝わると効果がある」と異口同音の報道がされていた。
それは日本の常識であっても、イスラム国に通用する考え方ではない。

今まではアメリカや西欧諸国とは違い、空爆に参加していない日本人は、イスラム国のテロの対象ではないとの安心感があったかもしれない。
しかし今後あらゆる日本人にとって、当たり前だが、イスラム国の支配地域は100%危険地帯になる。
ベルギーやフランス、その他、イスラム国の影響下にある連中が少なくない国への訪問も、避ける。
現在の日本の法制度化では、日本国が救出に努力してくれても限界があるし、過度な期待は持てない事も分かった。

まずは、自分で自分を守る
幸い日本にいる限り、テロに遭遇するリスクは小さい。
我々レベルでは、海外にはいかないに越した事はないが、やむを得ない場合でも、安全な場所しか行かないような、最低でもそんな危機管理が必要だ。