昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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お迎えの時

織田信長は、「人生五十年」と舞い謡い、49歳で死んだ。
相撲取りの多くは還暦を迎える事なく逝去するので、60歳を超えた横綱は、赤いチャンチャンコを着て長寿を祝う。
しかし、晴れてそんな名誉に浴する力士の数は、驚くほど少ない。
楢山節考では70歳になった老人は、口減らしの為に山に捨てられた。
昔は、齢50歳を越せばいつ死んでもおかしくなかったし、80歳を超えて長生きする人なんかは極めて稀でしかなかった。

今は、長寿社会だ。
日本では、加速度的に老齢化が進み、間もなく65歳以上の老人が全人口の四分の一を超える。
前期高齢者とか、後期高齢者とか、年寄りは社会の邪魔者扱いもされている。
しかし一方では、年寄りはあらゆる産業のマーケティングの対象になり、老人需要をいかに取り込むかが大きなテーマになっている。
とは言え、若者や壮年層に比べ、老人が病気に対する抵抗力が弱っているのは間違いない。
また動きが緩慢にいるので、事故に遭遇するリスクも大きくなっている。
特に65歳を超えると、いつ何時お迎えが来てもおかしくはない。

僕も昨年で、目出度く65歳になった。
今のところ元気いっぱいで、風邪もひかず、毎日二時間ウォーキングを重ねている。
しかし、一年に一度の健康診断でも分からない病魔に侵されるかもしれないし、どんなに細心の注意を払っていても、運が悪く車に跳ね飛ばされるかもしれない。
だから、いつ死んでも後悔がないような、そんな余生を送りたいと思っている。

我が家の場合、夫婦の間では、何となく僕が先に死ぬのが、暗黙の合意事項になっている。
平均寿命は、男性に比べ女性の方が5歳ほど長いし、妻の方が年下なので、客観的に見れば、早くお迎えが来るのは僕の方だろう。
それは仕方がないし、むしろその方が望ましい。

問題は、逆になった時だ。
妻に先立たれて僕が残った時は、一気に大ピンチに陥る。
何よりも、食事の作り方が分からない。
どこに何が整理整頓されているのかも知らないし、我が家の経済状況も全く把握していない。

その場合は、「すぐにのち添えを貰って」と、一応強がっているが、実際上はこの可能性はゼロだ。

テレビ番組で、シルバー婚活を紹介していた。
生命保険の金額や、精力絶倫振りをアピールして、何とか女性の気を引こうと努力しているオトコ年寄りの姿が哀れで、平常心でに見続けることが出来なかった。
シルバー婚活パーティーの参加している女性にとって、唯一最大の興味は老後の経済的安定であり、オトコのように妙なロマンチシズムなど「明後日来い!」の代物でしかない。
ましてや、「できれば若い方が」とか、「献身的に世話にして貰って」などは、高望みを通り越して、「あの月を取ってくれ」と泣き喚くガキ程度の理解力しかない事を暴露しているようなものだ。

元より、子供に老後の面倒を見てもらうなんて、子供にとっても迷惑だし、仮にそうなっても遠慮ばかりの生活を余儀なくされる。
だから万が一にも、妻に先立たれた場合、一人ぼっちの寂しい最期を迎える事になってしまう。
寂しさには事のほか弱い僕にとって、そんな生活に耐える自信はない。
やはりここは、妻よりも一日でも早く成仏しないと拙い。

そんな事を、真剣に考える年代になったのが悲しい。