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アァ、大相撲大改革論

大相撲人気が復活しているらしい。
初場所も、連日満員御礼の垂れ幕が下がっていた。
花相撲に近い、「大相撲トーナメント」では、決勝戦日馬富士稀勢の里が進み、それなりに盛り上がっていた。
一年前は、どこの場所も観客がガラガラ状態だったので、変れば変るものだ。

人気復活の最大理由は、若い逸ノ城、照乃富士や遠藤の躍進だろう。
特に逸ノ城は、昨年の9月場所に急に注目され、アッと言う間に関脇まで上り詰めた。
それまではほとんど無名に近かった丁髷も結えないような若者が、横綱大関相手に勝ち進んだのだから、日本中が驚き騒いだ。
行き付けの床屋のご主人も、「私ァ、相撲なんか見ていなかったけど、逸ノ城が出て以来、しょっちゅうテレビをつけていますよ」と笑っていた。
尤も関脇で初めて、大幅に負け越してしまった。
素人目で見ても、立ち合いが甘いし、相手に研究されている。
心機一転の巻き返しを期待したいものだ。

朝青龍の引退以来、すっかり相撲に興味を失っていた当方も、久し振りに将来性のある力士が出現したと喜んでいる。
何よりも、朝青龍に似ている顔つきがいい。
つい数年前まで、モンゴルの遊牧民だったらしいので、性格も朝青龍に似ているに違いない。
大関横綱になるのは間違いない逸材らしいが、強くなるに従って、奔放な性格が問題を引き起こす可能性も否定できない。

何故なら、相撲界の優等生だったはずの白鵬でさえ、様々な問題を指摘され、「第二の朝青龍」と見るような雰囲気になっているからだ。
白鵬は、ついに大鵬の最多優勝記録を書き換えた。
14日目には優勝が決まり、しかも全勝で花を添えたのだから、誰からも文句を言われるはずがない。
ところが場所後は、白鵬バッシング一色になった。
朝青龍バッシングの頃は、善玉役を演じ続け、当時の横綱審議委員だった内館牧子からは「日本人以上に日本人、理想の相撲取り」とまで褒めちぎられていたはずだ。
直接の原因は、審判の物言いにクレームをつけた事だが、一旦潮目が変わると、「やれ懸賞金の貰い方が」とか、時間いっぱいで体の汗を拭かないとか、無用なダメ押しとか、些細な事にもイチャモンが付く。
白鵬も、表面的には一応謝罪したようだが、本心は依然として不満タラタラの様子だ。
今までは、一人横綱で一枚看板だったので何をしても許されたが、大鵬の大記録も塗り替えたし、相撲協会にとっては、最早賞味期限が切れた横綱とも考えられる。

後に続く有望力士も、逸ノ城にしても照乃富士にしても、相変わらずのモンゴリアン。
ちびっこ力士の相撲トーナメントでも、最上級生の部では、モンゴル中学生同士の決勝戦だった。
最早日本の国技と言うよりも、モンゴル力士同士の鬩ぎ合いの感が強い。
相撲協会は、大相撲人気復活に大喜びだろうが、看板力士が外国人ばかりでは、日本の国技の名が泣く。

大相撲が神道に基づく所作振舞いを求めること自体が、自己矛盾ではないだろうか。
エジプト出身の大砂嵐なんか、かち上げや張り手メインの荒っぽさだし、何よりもイスラム教徒だ。
そんな力士まで入門させておいて、懸賞金の取り方を云々するとは、チャンチャラおかしいのだ。
そもそも外国人力士たちに、大相撲の根本理念である日本国家神道の考えを理解できるはずがない。
高見山を入門させ、小錦が大活躍、曙が横綱になった時点で、もはや大相撲は日本の国技とは言えなくなってしまった。
その後は、最高位横綱になるのはモンゴリアンばかりで、日本人等お呼びもない。

いっそ国技の看板を下ろし、柔道のように国際化を求めたらどうだろう。
既に外国人力士に頼らない限り、興行としての相撲は成り立たない。
やれ神技だとか、うるさい事は言わない。
横綱審議会みたいな、古色蒼然とした組織も委員も不要。
丁髷もいらないし、まわしの下にパンツを穿く事も許可する。
実際に外国人も参加するアマチュア相撲大会では、そんな恰好で競技している。

現状を素直に認め、実態に合わせる改革をした方が、大相撲は長生きできる。