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少年法と親の責任 川崎中一殺人

川崎市で発生した中学一年生への暴力、殺人事件は、聞けば聞くほど、残忍な犯人への怒りがこみ上げる。
しかし産経新聞によると、教育評論家と称する石井昌邦氏は、こんな事件を防ぐ為には、
「子供の世界は狭く、暴力への恐怖から大人に訴えるのは難しい。大人が気付いて何とかするしかなかった」
と見ているらしい。
これで教育評論家が務まるのなら、僕だってできる。
僕は、例え大人が気付いても、子供の閉鎖社会の事は解決できないと思っているが、それでも尚、教育評論家として大人の責任を追及したいのなら、せめて「何とかする」のような全く抽象的で無内容な発言ではなく、「気が付いた時に、○○をするべきだ」のように、具体的な対策を提示してほしい。
そのような具体策が何もないまま、「何とかするべきだった」と言っても、それは何も言っていないのに等しく、犯罪は決して減る事はない。
 
「大人が気が付いて」に期待するのなら、警察に出頭した時に同行していた、川崎中一殺人の主犯とされる18歳少年の親の行動を見て欲しい。
この父親は、一応被害者の遺族に哀悼の念を表した後、「息子は事件に無関係」とのコメントを発表している。
「上村君の事件につきましてはあってはならないことであり、ご遺族の気持ちはいかばかりかと察してあまりあります。また、犯人には事件相応の罪を受けてほしいと思っております。これを前提に、息子は上村君の殺害とは無関係です。ただ、上村君と息子とは面識がなかったわけではないので、事件の真相解明に協力できることがあれば協力したいと思っております。」
 
当事者に一番近いオトナが、こんな程度の認識なのだ。
第一この18歳の少年は、過去にも暴力事件を引き起こしているし、仲間とつるんで遊びほうける、近所でも有名な不良グループのリーダーなのだ。
更に事件直前には、未成年にも拘らず、仲間と一緒に飲酒している。
酒を飲むと自制心が無くなり、暴力に歯止めが利かなくなるとの証言は相次いでいる。
親が、そんな息子の素行の悪さに、気が付かないはずがない。
しかしその肝心の親は、非行に走っている息子に、体を張って諌めた様子もなく、この期に及んでも息子のアリバイを証言し、無実を訴えている。
こんな親の元に暮らしていた18歳の主犯格に、真面な立ち居振る舞いを期待できるはずがない。
 
では、この主犯格のオトコの、近所の人に期待できるのか?
近所の人にとっては、正義心からお説教して逆恨みをされたら、たまったものじゃない。
札付きのワルと分かっている今回の主犯に対しては、誰でも「さわらぬ神に祟りなし」を決め込むはずだ。
犯人たちの親も近所の人の義侠心も期待できないなら、犯人たち側には犯罪の防波堤はない事になる。
 
今回のような、悪逆非道な犯人が、少年法に守られ罪に問われない、若しくは極めて軽微な罰しか与えられないケースを見る度に、全く割り切れない不快な思いに駆られるのは、日本古来の考え方「仇討ち」が出来ないもどかしさがあるように思う。
日本人は本質的に、仇討ちが好きだ。
赤穂浪士忠臣蔵や、曽我兄弟の仇討はつとに有名だが、ヤクザ映画もまた我慢に我慢を重ねた主人公が、我慢の限界を超えた時に仇討ちをする事で、観客の溜飲が下がる。
それは犯罪を罰する時に、仇討ちと言う行為が、相手の行為と同等の反撃を許すモノとして、極めて分かり易いルールだからだろう。
かのハンムラビ法典の「目には目」は、四千年近い時代を経ても我々が暗唱しているほど有名なフレーズだが、それも理解が難しい法体系ではなく、罪の代償は同等同質と規定する分かり易さだと思う。
 
仇討ちは、江戸時代には積極的に推奨されたが、明治維新以降は近代国家としての司法制度が整備され、禁止された。
これは、個人に代って政府が仇討ちをする事で、被害者を納得させるものだ。
「勧善懲悪」の四文字熟語も、仇討ちの印象と重なる。
ところが少年法があると、犯罪の結果のダメージが、どう見ても犯人と被害者の間で違いすぎる。
加害者は法律で厚く保護されるのに、被害者はまるでヤラレ損になってしまう。
 
今回の犯人たちは、犯行直前に飲酒しているようだ。
すると更に、「正常な精神状態ではなかった」ので無罪となる可能性すらある。
犯人は少年法に守られ、本来なら法律で禁止されている未成年の飲酒によって、更に罪が軽減される。
今の法体系では、そんな理不尽な事が起きてしまう。
選挙権を18歳にまで下げようとの動きがあるが、それよりも先に少年法改正が必要だ。
 
僕は、今回のような悲惨な事件に、少年法を適用する必要はないと思っている。
しかし今回も、悪法と言えども法は法なので、犯人たちやその犯行内容が明らかになる事はないだろう。
少年だから罪に問えないのなら、せめてそんな少年を育てた親なり親族は、その姿を現して被害者とその関係者に謝罪をするべきだと思う。