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怒りを込めて 川崎中一殺人事件

川崎市の18歳をリーダーとする不良グループによる中学一年生の殺人事件は、その凄惨な殺害方法が大きなショックを与え、あらゆるマスコミがトップに報道している。

しかし、これほど悪逆非道な犯罪行為をした犯人でも、少年法に守られ、匿名報道となり顔写真も公開されない。
ところがネット社会では、とっくの昔から「犯人はコイツだ」とか「犯人の出自は」とか、真偽の程が分からないまま、本名、写真、更には自宅の住所、自宅の写真まで公開されている。
逮捕直前には、今回逮捕された犯人の自宅前に張り込む、報道陣の写真まで報道されていた。
むしろ一般のマスコミよりもタイムリーな報道ぶりで、ガチガチな報道規制に縛られる大手マスコミよりも遥かに読者を引きつける。
マスコミのイスラム国への報道姿勢は、自分の身の安全すら顧みずに、危険地域で取材をするのが矜持だと力説する報道関係者ばかりだったが、この手の事件となると、途端にオカミの意向を慮る消極姿勢に変ってしまう。

この犯人達への情状酌量の余地など、どこを探してもない。
しかしこんな人非人のような犯人達も、敢えて少年法の見地から見れば、「この子供達の犯行は、未成年で社会常識がなかった為なので、然るべき更生施設で治療を施し、その後に社会復帰を図るべき」となるのだろう。
犯人には更生と社会復帰のチャンスが与えられても、罪もなく殺された被害者には、二度と社会復帰は出来ない。
悪さをした方が法律に守られ、殺された中学生のプライバシーには、何一つ配慮される事がない。
何という矛盾だろう。

もう一つ、こんな事件が起きる度に、何とも理解できない人達が登場する。
ある政治家が、「こうなる前に、政治が何かできなかったのか?」と自責の念を語り、安倍晋三首相に対して「政治の怠慢」とばかりに反省を迫っていた。
殺された被害者が通っていた中学の校長が「こうなる前に、我々が何かできなかったか?」と、反省の言葉を述べていた。
いずれも、こんな残虐な犯行を未然に防げなかった事への後悔のようだが、実は大事件が起きて被害者が非業の死を迎えた時には、必ず反省と、手遅れへの後悔を語る輩が出てくる。
しかし、その反省が生かされ、目を蔽いたくなるような残酷な犯罪が減少したとの話は聞いた事がない。
それは当たり前で、この手の一見反省した振りをする人のコメントは、何一つ具体的な内容を伴っていないからだ。

そもそも不良少年は、何時の時代にも、どんな所にも必ず存在している。
政治家とか教育者がどんなに頑張っても、一人残らず全員が幸せな生活を送れる訳ではない。
必ず落ちこぼれは発生するし、生まれつき性格が異常な人間だって皆無ではない。
ハッキリ言えば、政治家が出来る事と言えば、犯罪が起きる前に徹底的な取り締まりを可能にする法律を作るとか、犯罪を引き起こすと割が合わないと思わせるほど厳罰を科すことが出来る法律を作るかしかない。
学校側は、自らの身の危険を顧みず不良生徒達に立ち向かい、危険なグループを解散させ、一般生徒の安全を確保するしかない。
そんな覚悟も何もないまま、お題目のように「自分たちには何が出来たのか?」と自問自答していても、必ずまたどこかで、似たような事件が起きる。

少年法の矛盾と限界は、今まで少年による凶悪犯罪が起きる度に必ず議論されながら、これも必ず有耶無耶になってしまう。
今回の凄惨な事件を教訓に何かが出来るとすれば、先ずは「犯人は少年だから」との妙な思いやりを捨てる事だ。
僕は、残虐な犯罪に対しては通常と同様に犯罪内容を詳らかにし、通常の犯人と同様に処罰できるような、速やかに法整備する事しかないと思う。