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大阪府警署長のオソマツ発言

大阪府警警官が引き起こした殺人事件で、大阪署長の謝罪の仕方と内容が問題になっている。
被害者の遺族が問題視しているのは、
   ・葬儀の際に大阪府警からは参列も弔電もなかった
   ・遺族が荷物を引き取りに行くまで、大阪府警からの謝罪がなかった
   ・謝罪時にも、不適切な発言が頻発された
であり、マスコミからも一斉に攻撃されている。

僕の嫌いな大谷昭宏は、「警察組織の防衛を優先している。何故素直に、署員が犯した罪を謝罪しに行かなかったのか」と、例によって唾を飛ばしながらがなりたてていた。
日頃は客観的に発言する弁護士の矢代英輝も、「現役の警察官が犯人なのだから、大阪府警は直ちに謝罪するべきだった」と力説した。

何はなくとも、取り敢えず謝罪するのは、いかにも日本的な発想だが、本当にそうなのか。

今の世の中で謝罪するのは、自分の非を認めた事になってしまう。
日本で交通事故に出合った場合、事故の相手に対して「どうもスミマセン」から会話が始まるのが普通だが、海外ではこのセリフは絶対に禁句。
何気ない一言で、事故の事後処理に決定的な差が出る。
今の企業では、海外に赴任したり出張する社員に対して、絶対に謝罪につながる発言をしてはいけないと教えている。

今回の大阪府警現役警官が、交際中だった女性を殺害した事件に関しては、この犯人は、自分が結婚している事を隠していたらしい。
それがバレタ時に女性から、犯人の家族と職場にバラスと迫られ、凶行に及んだと言うから、情状酌量の余地はない。
しかし、職場ではなく、私生活の部分で発生した事件に対して、果たして犯人が所属していた組織は、どこまで責任を取らなければならないだろうか。
今回の場合は、大阪府警が謝罪すると、被害者から国家賠償法を請求される事も有り得る。

自分に置き換えてみると、自分の同僚が、あるいは上司、部下が、どのような私生活を送っているのかなんて、全く知らなかったし、知ろうともしなかった。
一々詮索すると間違いなくうるさがられるし、場合によってはパワハラ扱いされかねない。
警察でも同じだろう。
無論、警察の捜査は個人のプライバシーの踏み込む事もあるの。
だから、普通の職業とは違う高い倫理観が要求されるので、警察官の定期的な勤務態度チェックや適性検査は必要だろう。
しかしそれは警察官を、24時間体制でがんじがらめに監視監督するモノではない。
具体的には、非番の日の行動までを、全て上司が管理する事は無理だし、そんな時に起こした事件、事故の責任は、基本的には個人に帰するはずだ。
誰と付き合っているのか、どんな付き合い方かまでは、興信所でも使わなければ分かるはずがない。

しかし、今回の大阪府警阿倍野署の署長発言は、警官としてではなく、人間としての常識に欠けている。
わざわざ遺族への謝罪を録音している被害者遺族の前で、喋り方もぞんざいだし、自己弁護に終始した姿勢が前面に出ているので、聞いていても不快感が募る。
しかしそれは、彼個人の資質の問題であって、大阪府警の問題にまでしてしまうのは話が飛躍し過ぎる。

日本では連帯責任の意識が強く、何か事件があると、家族や組織の責任を問う声が多くなる。
家族は運命共同体的要素が強いが、それでも成人以降の個人の所業については責任を取りきれない。
ましてや会社組織は、企業目標を達成するために集まった個人の共同作業の場だ。
人間的に問題があるような人物でも、目標達成の為には使いこなさなければならない。
実際のところ、そんな組織に、個人の犯罪まで防止する機能もないし、余裕もない。
現職警官が犯した重大事件ではあるが、公務と無関係である以上、大阪府警監督責任を声高に追及するのは、魔女狩りに似たポピュリズムでしかない。