昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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平和記念日だけど.........

例年8月になると、ほとんどのテレビ番組で、原爆の悲惨さを放送する。

些か旧聞に属するが、8月6日の野球中継を見て驚いた。
巨人対広島戦で、広島のユニフォームの胸マークが「PEACE」、背番号は全員86。
70年前のこの日、広島に原子爆弾が投下された。
被災地広島の野球チームとして、原爆に反対の姿勢を訴えたいようだ。
8月9日には、今度は長崎で同じような原爆反対集会が開催される。
内容は、広島とほとんど変わりない。

あの悲惨さを、絶対に忘れてはいけない。
戦争は、絶対に許してはいけない。
しかし最近では、戦争も、原爆の悲惨さも知らない若者が増えている。
原爆の被災者は、どんどん老齢介している。
何としても、原爆の悲惨さを後世に伝えないといけない。

大半の番組が、ステレオタイプに同じことを放送する。
気持ちは分かるが、僕は違和感を持つ。

しかしこの手の番組の不思議なところは、一年に一度、原爆投下の日になると、決まったように「原爆反対」「原爆の悲惨さを忘れるな」と叫ぶことが、まるで恒例化している点だ。
忘れないためなら、一年に一度ではなく、毎日のように放送するべきだ。
しかしそれでは、彼らにとって大事な視聴率が稼げない。
ならばと、まるで年中行事のようにこの記念日だけ、殊勝なトーンで原爆被災者への同情を求めてくる。

しかもこのような番組は、意識的なのか無意識なのかは知らないが、先ずは戦争を起こした日本を非難し、その戦争の結果が日本への原爆投下となったとの構成になっている。
あくまで悪いのは日本で、肝心の人類史上最悪の武器を使用したアメリカへの批判はない。
そこまで自虐的になる必要があるのか!
原爆の悲惨さを訴えたいのなら、被害国の日本ではなく、先ずは原爆を二度に亘って投下して、日本人を大量殺戮したアメリカに対して言うべきだろう。

原爆が非人間的な武器だと言うことに、異論はない。
しかし、そもそも日本で、毎年毎年その原爆の悲惨さを忘れないように努力しても、原爆を所持していない日本が、その原爆を武器として使うことはありえない。
むしろ世界一の核兵器所有国のアメリカこそ、原爆の悲惨さを再認識し、自分たちが犯した罪の大きさを知るべきだ。
敢えて言えば、原爆を投下された日本にとって、8月6日と8月9日で忘れてはいけないのは、戦争に勝つために手段を選ばず、日本の一般市民を一瞬にして殺戮することを躊躇しなかった、アメリカの思考パターンだ。

実際に国際社会では、日本のようなセンチメンタリズムは極めて少数派だ。
むしろアメリカの実戦使用で、その恐ろしさと効果が確認された核兵器を所持することで、自国の外交交渉を有利にする国が後を絶たない。
核兵器の先進国は、そのカードを独占することで、自国の優位性、発言権を強化しようとする。
日本だけが、一年に一度、国を挙げて反省しても、核兵器がなくなることはおろか、減少することすらはない。

核兵器に反対なら、日本で反対運動をしても、非核三原則を守ってもまるで無意味だ。
アメリカ、ロシア、その他核所有国が、こぞって非核三原則を受け入れない限り、核兵器が無用化することはない。
しかしそれは、単なる夢物語でしかない。
日本で8月になると、思い出したように平和記念日を開催して70年も経つが、世界の核兵器が減ることがなかったのがその証拠だ。