昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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人を見る目

人を見る目とは、眼力のことだ。
多くの人は、自分に「人を見る目がある」と思っている。
そして多くの場合、これは外れだ。
 
僕の先輩は、人品骨柄卑しからず。
組織のトップリーダーとして申し分のない人物で、誰からも慕われ、尊敬されていた。
ただ彼の唯一の欠点が、人を見る目がないこと。
 
彼の周りにはたくさんの人物が集まってくるのだが、中には全く胡散臭い輩もいる。
僕はお節介なので、「彼は如何なものでしょう?」と、それとなくご注進に及ぶが、「イヤ、あいつは俺には嘘をつかないから」と取り合わない。
結果としてこの手の人間は、遅かれ早かれ、また大なり小なり、彼に災いを及ぼすのだが、そのことで彼が悔んだり嘆いたりしたことはなかった。
僕たちにとっては、彼のそんなところも魅力の一つだったが、それでも折に触れ、「あの人に、人を見る目があったらナァ」と、彼に代わって愚痴を言ったりもしたものだ。
 
しかしこれを冷静に振り返ると、先輩は人を見る目がないが、自分にはその能力があることが前提になっている。
果たして、そうだったのだろうか?
 
僕の周辺にいる人物で、自分が人を見る目に欠けていると自覚している人は少ない。
稀に、「男運が悪い」と言われる人がいるが、その人の場合は、男性を選ぶ基準として「ハンサムであること」が優先されている、いわゆる「面食い」なので、男運が悪いことはやむを得ないとあきらめている部分がある。
その他は誰もが、自分は人を見る目があるから大丈夫と、高を括っているように思われる。
 
しかし本当にそうなら、世の中のトラブルは激減しているはずだ。
更に言えば、一番人を見る目が問われるのは伴侶選びなのだから、人を見る目があれば、離婚件数は画期的に減るはずだが、残念ながら現実は違う。
違うどころか、ますます増えているのが実態だ。
 
僕も含めて、我々は自分の都合の良いことだけを強調し、都合の悪い部分はあっさりと忘れ去る。
その結果、自分には人を見る目があると思い込んでいるのではないだろうか。
実は人生で一番難しいのが、他人との付き合いだろう。
人を見る目さえあれば、他人との諍いはほとんど発生しないはずだ。
しかし多くの人が様々に悩むのは、他人様との軋轢だ。
つまりは三段論法的にいけば、我々はほぼ全員が、人を見る目を持っていないことになる。
 
自分は人を見る目があると思うのは、勝手な思い上がりなのではないだろうか。