昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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懺悔しなければならないこと

僕は、敬虔な神道イストを自称している。
しかし、キリスト教徒でもないのに、ハロウィーンも、クリスマスも、バレンタインデイも、全部OK。
結婚式は神前でやり、家族の葬儀は仏教形式。
甥や姪の結婚式は、教会だった。

しかし、「苦しい時の神頼み」精神だけは人一倍強く、アラーの神やヒンドゥーの神以外には、誰彼構わずお願いすることにしている。
そんな、日本人に在りがちの典型的な宗教観なので、神様に懺悔する時には、誰に許しを請うのか分からなくなる。
それでも、神様に祈りが通じれば儲けものと、懺悔を乱発する。
そんないい加減な代物なので、神様からは大らかに許してもらえないかもしれない。

少々前振りが長くなったが、この歳になると、やはり個人として、組織として、今まで仕出かした悪行の数々を思いだし、深い反省と後悔の念に駆られることが増える。
特に会社員としての法令遵守に関しては、自分で言うのもなんだが、決して褒められたモノではなかった。

僕が入社したころは、価格談合は当たり前の雰囲気だった。
無論それが、独占禁止法に違反していることぐらいは、常識として知っていた。
しかしそんなのは、あくまで建前。
ある年次を経て、しかるべき職位につけば、当然のように談合要員となり、様々な会合に出席するようになった。
本人はそれを、自分の会社員としての成長と思い込んでした節がある。

ところが経済の国際化とともに、日本の閉鎖性が批判されるようになり、公正取引委員会独禁法適用が厳しくなってきた。
平気で談合していた分、脛は傷だらけだ。
公取がその気になって調査すれば、至る所に証拠物件が転がっている。
そんな訳で、それまでの談合体質を改めるしかなくなってしまった。
過ちを改めるに、憚ることなかれ!
むしろ自慢できる過去ではなかった分、二度と再び談合体質に戻ってはいけないと、それまでの営業のやり方を深く反省し、後輩に対しては厳しく指導した。

次に直面したのが、データ偽装問題だった。
これもまた、僕が担当するまで綿々と続いた悪弊だったが、むしろ商権を守るためには、データを偽装するのが当たり前みたいな感覚で、それまでの誰も改善していなかった。
ある日、下請け先のデータ偽装を報告した新人担当が、「そんな報告をしたら、蜂を巣をつついたことになる」と、先輩社員から袋叩きになったらしい。
後にこの事実を知った僕は、むしろ新人の報告こそ重要で、直ちにそれまでの偽装報告をやめるように指示した。
ところが現場からは「素人に何が分かる。そんなことをすれば販売がゼロになる」と猛反発された。
僕はその時に、「絶対に偽装は許さない、インチキをしてまで売る必要はない」と言い切った。

後日談だが、改善のタイミングはこの時しかなかった。
その数年後に、日本中でデータ偽装が問題視され、各社対応に追われたが、僕の所属していたグループは、社内監査でもお咎めなしで、胸をなでおろすことになった。
しかしこれは怪我の功名。
談合問題で、コンプライアンスの重要さを肝に銘じたからこそ、偽装問題の時には毅然とした態度を貫くことができたと思っている。

今回もまた、横浜市のマンションで、データ偽装が浮上している。
全棟立て直しになると、時間が三年半もかかり、且つ費用は天文学的になる。
会社も担当した社員も、下手をすれば刑事罰に問われるかもしれない。
価格談合は絶対に悪と知っているはずなのに、世界的規模で日本メーカーが摘発されている。
僕は昔聞いた、ある総務担当重役の言葉が忘れられない。
彼はコンプライアンスの社内教育の場で、「君たちは、会社の為に!と言い訳するかもしれないが、会社は君たちの行為を、法を犯して自分の成績を上げようとしたと判断する」と断じた。
明らかにそれまでの会社の姿勢とは一線を画したもので、コンプライアンスに違反した社員を突き放す発言だった。

だから僕は、今に至っても法令を守らず、摘発される社員が哀れでならない。
自分では良かれと思っていても、一旦コンプライアンス違反を指摘されれば、その社員に会社員としての明日はなくなる。
飲酒運転違反、セクハラ違反と同様に、会社員は自分で意識を変えないと、生き残れない時代だ。