昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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介護問題が悩ましい

身近な人が、親の介護で悩んでいる。
一人は僕の姪で、昨年8月末に母親、即ち僕の姉が突然、脳腫瘍で倒れた。
施設に入れるかで悩んだ挙句、姪が選んだのは自宅介護。
その効果か、最悪は余命三か月、持って半年かもしれないと告げられた医者の観立てを大きく上回り、一年以上の間、一進一退を続けてきた。
腫瘍を全部摘出したわけではないので、だんだんと言葉が不自由になる。
しかし思考能力は健在で、イエス、ノーははっきりしている。
 
もう一人は、義兄。
妻の母は、今年4月に元気に白寿を迎えた。
しかしその後、階段を踏み外し、腰を骨折。
医者は年齢を理由に躊躇したが、本人が治りたいと志願して、手術を強行した。
すると奇跡的に、杖をついて歩くことができるまで回復した。
未だに頭脳は明晰だが、しかし様々な臓器に故障が増えた。
その為、体のあちこちが痛いらしく、行動が思うに任せない。
自由に動けないストレスに伴って、我が儘を言うことが増えた。
 
介護は介護する側に、精神的にも肉体的にも極度の疲労を生むし、終わりが見えない。
 
姪は姉に対して、一週間に一度はデイケアセンターに赴いてほしいと思っている。
そうするとその間は、介護から解放される。
しかし姉は、デイケアセンターに出向くと赤の他人に囲まれるので、それだけでストレスを感じるようだ。
しかもリハビリと称する単純運動も、バカバカしくてやってられないと思っている。
毎回、センターから迎えが来ても、なんだかんだと理由を並べ立て、行きたがらない。
結局は、姪が根負けして、自宅に居残ることになる。
 
義兄は昔の同窓会への出席を理由に、四泊五日で家を空けた。
途端に義母は寂しくなり、「死ぬかもしれない」と弱気な発言を繰り返す。
やっと義兄が帰宅し見舞いに行くと、たいそう喜んだとのことだが、これは義兄が不在だったことへの不満の裏返しでもある。
更に、「ここに娘、(即ち僕の妻)がいてくれたらもっと嬉しい」と言い出したらしい。
義兄からの電話は、「歳も歳なので、いつ何が起きても不思議ではない」と、悲観的だ。
妻は今日から里帰りをした。
「ではちょっと出かけて」の距離ではない。
急な飛行機の手配や、様々な約束事をキャンセルしなければならない。
しかも内容によっては、いつ帰ってくることができるのか見当が付かない。
昔の義母は、他人への気配りばかりを繰り返す人だったが、今や自分のことで精いっぱい。
他人の迷惑にまで、配慮する余裕はない。
 
妻の友人もまた、母親の介護で参っている人が多い。
介護の場合、頑張れば頑張るほど、老人は長生きするが、その分、介護する側への負担が増える。
そんな大矛盾を抱えているので、一筋縄ではいかない。
時間も場所も構わず、あれこれと要求を繰り返す母親に対して、妻の友人は、「いっそ、死んでくれれば」との極論を吐いたらしい。
言葉は不穏当だが、気持ちは分かる。
 
しかし誰もがいずれは、今介護されている老人と同じ運命を迎える。
「死んでほしい」と望まれるのは全く不本意だが、しかしこればかりは本人の意思で切り抜けられるものではない。
何せ、本人がどうしようもなくなっているので、介護が必要になっているからだ。
そんなことを考えると、今から憂鬱になる。
何とか、ピンピンコロリの生き様、死に様ができないものか。