昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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親離れ、子離れ

人間ほど、「血のつながり」を重要視する生物はいないだろう。
動物の世界を詳しく知っているわけではないが、ゴリラやオランウータンが家族一緒の生活を送っていることくらいは知っている。
しかしいくら彼らが人間に近いと言っても、冠婚葬祭に親類縁者が集まるなど聞いたことがない。
血のつながりと言っても、実際には血が同じわけではない。
「同じDNA」の集合体なのだが、いずれにしても人間は、家族やその周辺を大事にしている。
 
我が家は、夫婦に息子二人の構成だが、この息子たちが揃いも揃って結婚しない。
すると世の中にはお節介な人が多く、「私が相手を紹介して」と世話を焼きたがる。
しかし我々夫婦は、彼らの結婚に反対はしないが、さりとて彼らに積極的に結婚を勧める気持ちもない。
仮に彼らが結婚して子供が生まれるとしたら、その子が人生を終えるまでには、どう考えても100年近い年数を要する。
そんな長い間、この地球上で人類が生きていける保証はない。
今の世の中、果たしてどこまで持ち堪えることが出来るのだろうか不安だ。
だから僕は、自分と自分の息子の代で我が家の血統が途絶えても、それはそれで仕方がないと思っている。
 
そんな我が家の長男が、この正月マレーシアに遊びに行き、食中りを患ったらしい。
激しい下痢が止まらず、予定を変えて現地の病院に行ったほどだから、かなりの重症だ。
帰国後に妻が電話で様子を聞いたところ、未だ下痢が止まっていないようだ。
妻は、自分が出かけておかゆを作ろうかと提案して息子から断られたが、それでも不安で仕方がない。
「ひょっとしたら行倒れになっているかもしれない、息子のアパートの鍵は持っているので、今から行って、おかゆを作って置きたい」と言い出した。
 
僕は、余りの子煩悩、親馬鹿振りに、呆れてしまった。
長男は、齢40になろうとしている。
親から見れば頼りない息子でも、世間的には立派な大人であり、且つ既に自立している。
そんなオトコなのに、母親の目には、まるで成長していない、いつまでも小学生時代のままで止まっているようだ。
「放っておいて構わない」と言う僕に対して、「母親の愛情はと父親のそれとは違う」と力説する。
 
幸か不幸か、我が家の息子は結婚しそうにないが、仮に結婚した場合、こんな親がいると必ず嫁姑の関係がややこしくなる。
母親の息子に対する思いと、妻の夫に対する愛情は違うからだ。
子を思う母親ほど、自分と違う妻の愛情を理解できないし、細かいことにも不満を持つ。
こんなヤヤコシイ愛情表現は、きっと人間だけにしかありえないだろう。
実際、動物社会では嫁姑の不和などはないはずだ。
 
僕は、親の責任は、子供が自立するまでと確信している。
親が子供に干渉するのは、ここまでで終わり。
ライオンと一緒で、子供が自分で餌をとれるようになったら、その後の生き様は子供自身が決めればよい。
その代わりに、親は子供に自分の老後を見てもらおうとも思わないことだ。
親子はどこまで行っても親子なので、息子たちへの特別の思いはあるが、それが子供たちの負担になるのなら、自分の介護は妻にはお願いしたいが、子供には期待しない。
もしも妻が先に他界したら、有り金前部を持って施設に入り、そこを終の棲家にするつもりだ。
 
人間には、動物と同じような親離れ、子離れが必要だ。
そうしないと、親は死に損ない、子供は独り立ちできない。