昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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宝くじ10億円が当たった!………ラ?

我が田舎町の大型スーパー店の、入り口が騒がしい。
この寒空の中で、若いニイチャンとネエチャンが声をからして叫んでいる。
「昨年の年末ジャンボで、ここの売り場から10億円の当たりが出ました!!!
これは、田舎町では一大事なのだ。
 
クレヨンしんちゃんが住む春日部市では、サトーココノカ堂。
我が田舎町では、もちろんイトーヨーカ堂
駅ならば流れ者かもしれないが、スーパーの宝くじ売り場で10億円の当たりが出たのなら、購入したヒトは我が田舎町の住人である可能性が極めて高い。
残念ながら、無論宝くじなど買ってもいない我が家ではない。
しかし近所の誰かが、10億円を持ってほくそ笑んでいると思うと、話題が沸騰する。
 
昨日久しぶりに床屋に行ったが、そこのご主人も興奮気味だった。
主人「10億円が出たのはご存知ですよね?」
当方「そうらしいね、誰だろう?」
主人「10億円ってどうやって使うのでしょう?人生が変わってしまうでしょうね?」
ここで二人とも、考え込んでしまった。
10億円となると、使い方が分からない。
当方「先ずは貯金だな、次に東京都心に一戸建ての家を買い、子供たちに1億円ずつ生前贈与」
主人「だけどそんなので金儲けしたら、子供たちは真面に働く気がしなくなりますよ」
 
確かにそうだ。
額に汗して働いて、何がしかの給料を稼ぐ。
大した金額ではないが、それでも生きていくために、息子たちは毎日毎日嫌々ながらも、我慢して働いている。
しかし突然1億円も貰ったら、真面目に働くのがバカらしくなってしまう。
これは子供の教育の為にも良くない。
 
妻との取り分でも、もめるだろう。
妻は強欲にも、「最低でも半分は寄越せ」と主張するに違いない。
しかしアッと言う間に、10億円が半減することに耐えきれるだろうか?
結果的には「嫌だ」と駄々をこねて、家庭不和や家庭崩壊にもつながりかねない。
貧乏人が、持ちなれないものを持つと、碌なことにはならない。
 
妻は、「年末に大当たりが出たのなら、ウンを使い果たしたはずなので、今年はダメだろう」と冷ややかだったが、「二度あることは三度ある」と言うくらいだから、連続して大当たりとなるかもしれない。
そんな期待感からか、宝くじ売り場はいつになく盛況だ。
やはり目の前で、「10億円が出ました」と騒いでいる、宣伝効果が大きい。
しかし床屋のご主人は、違う見方をしていた。
「この町で誰かが当たったということは、その前後の番号の宝くじを買った人がたくさんいる。その人はもう10枚買えばとか、もうちょっと早く行けばとか、次の人が当たったのではとか、とにかく眠れないほど悔しいでしょうね」
 
確かにその通りだ。
当たった人は嬉しいだろうが、外れた人の悔しさは半端ではない。
自分が当たる確率よりも、わずかに外れる可能性の方が大きい。
その時にも、平然としていることが出来るだろうか?
当たっても家庭崩壊、外れれば後悔。
 
矢張り、地道が一番。
身を持ち崩さないためにも、せっかく大金持ちになるチャンスかもしれないが、やはり宝くじは敬遠するのがベターだとの結論に至った。