昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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謝罪しなければいけなくなると.....

疑惑の東京都知事舛添要一の定例会見の評判が悪い。
テレビ局のアンケート調査では、97.7%の人が不信感を持ち、JNNの調査は、89%が納得できないであり、6%が納得できると答えたらしい。
あの会見を見て、6%もの人が「納得している」とは驚いてしまうが、いずれにしてもこの数値は凄い。
これほど信用されない記者会見は、そうはあるものではない。
そんな稀有なチャンスに遭遇できるなんて、我々は世にも貴重な体験をしたものだ。
 
世の中には妙な仕事があるもので、「謝罪のプロ」までいるらしい。
舛添の会見について、「ああでもない、こうでもない」と論評していたが、その内容たるや大したモノではない。
そもそも「謝罪はかくあるべし」などが実しやかに論じられるのは、至って最近のことだ。
反省の弁の延べ方や、服装、お辞儀の時間や角度などが、謝罪のプロから伝授されるらしい。
舛添もまた、このようなプロの指南をしっかり受けたのだろうが、所詮はウソをつかないといけないのだから、小手先のテクニックで逃げ切れるものではない。
ウソをつかないといけない立場に追い込まれると、何をどうやってもどこかに矛盾を孕んだ話になる。
 
僕は営業の仕事が長かったので、必ずしも清く美しく生きてきたわけではない。
顧客に拠って説明できないような価格差はあったし、相場価格と乖離した取引価格もあった。
三菱自動車で大問題になっているような、品質詐称問題に直面したこともある。
そんな仕事人生で、自分なりの営業哲学は、「本当のことは言わないかもしれないけど、絶対にウソはつかない」だった。
犯罪人にだって黙秘権があるのだから、ごく普通の社会人に対して、「何が何でも、全部本当のことを言え」と強要することはできないはずだ。
しかしそれでも、ウソはつかない。
どうしても顧客にウソをつかなければならない立場に追い込まれた時は、「本件は持ち帰ります」と、まるで舛添要一が連呼した「精査します」と同じような逃げ口上を使ったが、その時点で顧客には「あぁ、こいつはウソをついている」と分かってしまう。
むしろ、そう思ってもらうことが狙いでもあった。
 
だから、僕の体験から言えば、舛添要一が「精査した上で」と話した時点で、政治資金の公私混同は間違にないことが分かった。
次の記者会見は、それを証明するショーに過ぎなかった。
 
それにしても最近は、舛添以外にも有名人の謝罪が続いている。
三菱自動車のデータ偽装謝罪、ベッキーの不倫謝罪、そしてまだ事件化してはいないが、東京オリンピックの賄賂疑惑も、関係者の謝罪は時間の問題だろう。
共通しているのは、ウソが発覚することで、彼らが失うものの大きさだ。
特に仕事柄、目立たなければならない人は、ネット社会ではあらゆる場面で衆人環視の中にいるようなものだ。
何か問題が発生した時に、背負っているものが大きいほどウソをつきたくなるだろうし、世間の注目が大きい分、そのウソがバレる確率は高い。
 
その点、僕のような人間は、世間の注目も皆無なので、ウソをつかなければならない場面は極めて少ないし、バレるリスクもまた小さい。
即ち、部屋の片づけが下手とか、小遣いを使い込んだとかで怒られた時に嫁さんに謝罪する以外は、社会への謝罪など全く心配のない人生を送ることが出来る。
たかが謝罪でも、noblesse oblige
ちゃんとバランスが取れている。